結果と解釈 ~「当たり前」はどこ?~

2022年08月12日 訪問リハビリテーションこころ

他者に対してコーヒーを出したところ

A「こんなにやってくれて、ありがとうございます!」

B「まぁ普通だね、ありがとう」

C「どうしてミルクと砂糖をくれないんですか!」

と評価が割れたことはありませんか?

 

コーヒーを出すという結果は同じなのに、解釈が異なるために起こっています。

「当たり前」が違うために起きているといえますね。

A「コーヒーを出してもらえないのが当たり前」⇒感謝の思い

B「コーヒーぐらい出すだろう」⇒普通、という思い

C「コーヒー、砂糖、ミルクを出すのが当たり前」⇒不満の思い

 

訪問リハビリをしていると、担当する利用者さんから色々と教えていただきます。

転倒して大腿骨頸部骨折を受傷して2年経過、同じレベルで歩ける同じ年代の方でも

D「ケガをして良かった。健康がいかに素晴らしいことかわかったし、周りの人に助けてもらいながら生きていることを実感しているの。ケガしなければ一生、気づけなかったわ」

E「このケガをしてからうまく歩けない。リハビリしても無駄だし、こんなケガしなければ違う人生だったのに」

同じ(似たような)結果、状況でも解釈が大きく異なっています。

訪問リハビリでは正の解釈をできるよう関わりますが、Dの方は元々素晴らしい解釈をされており、私自身ケガをした時に「ケガをして良かった」と思えるだろうか、と頭が下がります。

この方は訪問時に毎回、担当療法士や周囲への感謝の思いを述べられます。

 

あなたの周りにも他者への感謝の言葉が多い人、不満ばかり言う人はいませんか?

「当たり前」が違うために解釈に差が生まれています
起きた出来事(結果)は同じでも、幸せかどうか(解釈)は人によって異なります。

この解釈の違い、実は痛みの度合いにも影響してくるのです。

これはまた後日、お伝えしますね。

 

筆者が尊敬する方々の中には、感謝の思いを伝えられる人が多くいらっしゃいます。

リハビリスタッフの皆さんが「やってくれたこと」に感謝を伝えられる管理者でいられるよう

「やってくれるのが当たり前」と驕らないよう精進したいと考えております。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。