2024年06月04日 こころ院長ブログ
日本人の幸福度が年々下がっている、世界でもかなり低いらしい。
とは言っても、幸福度って、測定する機械があるわけでもないし、
目安となる数字があるわけでもない。
ある種のデータやアンケートなどでの調査なのだろう。
だから、必ずしも正しいとは限らない。それでも、何だか気分のいい情報ではない。
日本は、別に貧しい国でもない、平和だし、文化レベルも高い。
何でだろう?
昭和から平成の初めの頃は、幸福度が低い、なんて思わなかったんじゃないかな?
貧しくても幸福感があったんじゃないかな?
思うに、幸福と感じる、求めるものが変わったんじゃないかな?
それがいいか悪いかは、わからない。
でも、妥当な目標なんだろうか?
SNSなんかに縛られているのも原因では?
幸福を感じるのに、SNSなどで自分を不特定多数から承認してほしい欲求が
満たされないと、とか、長時間労働や過酷な労働はしたくないけどいっぱいお金が欲しいとか、
自分の好きな時間に働いて好きなように遊びたいとか、
結婚しても自分中心で相手が合わせてほしい尽くしてほしいとか、
自分が好きなスポーツやお笑い、ダンス、歌などで食べていきたい、できれば
スターになりたいとか、、、、特にそれを希望しても問題はないのだけれども、
それって、限られた人しか満たされない欲求だと思われるので、
そこに幸福感を求めてしまうと、幸福度は低くなっちゃうのでは?
昔がいいわけではないけど、昔は、家族が元気で笑顔で暮らせれば、別に貧かろうと
幸せだ。
仕事があって、給料がもらえて暮らしていければ幸せだ、と感じていた人が、
多かったように思う。
単純に求める幸福度の難易度が上がっているだけ、という可能性もあるのでは?
足るを知る、という言葉は比較的好きなのですが、求めるものが大きければ、
満たされることはない。
いくら金を稼いでも、その上の欲求はいくらでもある。
何十億稼いだとて、足るを知らなければ、いつまで経っても渇望から逃れられない。
家族が元気で美味いもの食べて寝る。
それだけでも幸福は感じられる。
承認されなくたって、自分で頑張っている自分自身を承認してあげれば、それだけで
承認欲求は満たされる。不特定多数に承認されなくたって、友達や家族、同僚に認められれば、
それでいいじゃない。
求め過ぎたら、欲をかきすぎたら、不幸になる。