日本の未来への不安要素

2024年05月31日 こころ院長ブログ

日本の子供達、大丈夫かな。

噂にく、運動会の順位なし、安全性を過度に考えた競技プラン、みんな主役の学芸会、

などなど。まだそんなこと、本当にしているところあるのかな?

その教育方針のどこに、個性を育てる教育があるのか?競争力をつける教育があるのか?

やな思いをさせない、怪我をさせない一点においては、優れているとは思うけど。

悔しい思いをする、勝敗を知る、優劣を知る、得意不得意を知る、上を知る、下を知る、

乗り越えることを知る、他者を認める、他者から認められることを知る、、、、。

様々な意味において、足りないような気がする。

朗らかな、穏やかな環境だかで、耳障りのいい、心地よい、大人が用意した

いわゆる理想的な環境でぬくぬくと教育を受けて身につけた能力、個性、、、

本物だろうか?

社会に出て、それこそ世界に出て、通用するのだろうか?

もちろん、通用する優れた子たちはいっぱいいるだろうが、多くの普通と呼ばれる

子達は、大丈夫だろうか?

怒られたこともない若者が、就職して、それでゆくゆくその子たちに会社の行末を

任せていけるだろうか?

競争しなかった若者たちが、腕利の競争力のある諸外国の若者たちと渡り合えるだろうか、

出し抜かれないだろうか?

我が子たちには、世の中の厳しさや不条理、矛盾、上下や強弱関係、人の悪の性質、

諸外国の良いところや凶悪なところ、独裁的なところ、金に汚い大人、清廉潔白な大人、

競争や個性、強調、差別やハラスメントをしてはいけないことや逆にその行き過ぎたところ、

人のために生き活動することで幸福感が得られること、金に執着しないこと、

親を気にせず自分の人生を好きように生きること、家族は常に味方であること、

などなどを説いている。

現実の世の中は、全然理想的な社会ではない。良きものは騙され、搾取される、利用されることは、

日常茶飯事である。

大人になれば、どうせわかることだ。子供達にも現実の社会をちゃんと教えて備えさせるべき。

自身の経験からも、自らが善行をしても、妬まれ、蔑まれ、利用されたことなどは多々あった。

だが、だからと言って、その結果として、必ずしも不幸になることはない。

その後の自分の心の持ちようで、腐らなければ、前向きに進んでいけば、さらなる幸福に

向かっていける。悪い、嫌な結果に導かれても、導かれようとしても、在り方によっては

そこから新たな幸福へと進むこともできる。

しかし、そこまでに達するには、心の鍛錬が必要。

守られたぬるま湯の中でだけ、理想的なことだけを教えられ、経験していては、

心の鍛錬が足りない。とても打たれ弱い、脆弱な心のままで大人になってしまうかもしれない。

他者の心を知り、かつ自分の心を鍛え、清く強く持てるように、子供達を教育して

いかないと、日本は、大丈夫かな?と不安になるなぁ。