年功序列について

2024年05月20日 こころ院長ブログ

年功序列のある会社には、今の若い人は、入社を希望しない、

否定的な考え方を持っていることが多いときいいたことがある。

まぁ、若い人にとってはそうだろう。

若いんだから、年齢が上の人が、前からいる人が自動的に上に立つ、

様な雇用システムでは、入社時に自分が最下層であり、

魅力を感じない、実力主義であれば、自分が出世できる、

と考えることは自然なのだろう。

だが、別な考え方もできる。

年功序列は本当に不適切?

年が上の人、長く働いている人が、敬われてもいいのでは?

年功、だから、功績が大きかった人が評価されていてもいいのでは?

もしも今後自分が長くなった時、年齢が上になった時に、

その功績が評価されず、実力的にごぼう抜きにされて、

それだけをもって、評価がどんどん下がる、ということを

受け入れられるだろうか?

自分が思っているよりも、実力主義の評価が自分が受けられるのだろうか?

年功序列批判、実力主義奨励は、あくまでも自分が有能であることを前提にしている。

評価される人がいる一方で評価される人も生まれる。

若い世代の労働者側が、自分だけのメリットのことだけを考えているように

見える節もある。

自分がどうステップアップするか、楽に過ごすか、効率よく稼げるか、

自分の生活を自分のために、家族のために過ごせるか。

それはすごく大事なことだが、それだけではダメだと思う。

やはり、働く以上は、会社に利益をどうやってもたらすか、社会にどう貢献するのか、

など考えることも大事。

長い間同じ組織で、その組織に貢献してきたということは、それだけでも、評価の項目として、

一つあってもいいのでは?

転職ありきでの就職、というものを会社がどのように考えていくのか?

どうせ、3~4年で出て行ってしまうような人材に、どれほどの愛情を会社が抱いてくれるだろうか?

自分は、会社のためにとくに、愛情もなく、報酬の分だけ、明日位はそれ以上以下の仕事をするだけで、

特に愛着はない、愛情はない、忠誠もない。

でも、会社は社員に対して、自分に対して、愛情をもって、高く評価すべき、自分たちの環境を常に

第一に考えるべき、自分たちの権利や主張を最優先すべき、福利厚生をもっと充実すべき、

会社の利益を優先せずに、利益は、自分たちに還元すべき。

そういうような主張をしているように聞こえる人もいる。

果たして、それってフェアなのかな?

メディアやコメンテーターも、労働者が売り手市場だから、会社が強く言えない、労働者の権利、主張を

尊重すべき、そうでないと生き残れないなどと、平気で強いものに巻かれようとする。

が、これって、すでに、現代の人が大好きな、ハラスメントの構造では?

労働者>>会社の力関係で、労働者が離職や就職をちらつかせて、自分に有利な、特になるような主張や要求を

会社側に求める。

労働者の権利ではあるが、度を過ぎれば、労働者ハラスメント、と言われてもおかしくない。

産休・育児休暇、有給休暇、GW、バカンス、年末年始休みは長期にほしいときに休みたい、労働時間は短く、

フレックスで自分が働きたい時間にだけ、会社にはいきたくないから在宅で、つまらないから新人でも責任のある

大きな仕事を任せてほしい、でも責任は上司に取ってもらいたい、上司とは話はしたくないし付き合いたくもない、

飲みにも行きたくないが自分のことは理解してほしい、自分が誘ってほしいときになら誘ってもOK、誘ってほしいときには

こちらから言います、失敗しても責めないでほしい、怒らないでほしい、教えてほしいけど手短にやさしく、

後輩には面倒をかけてほしくない、後輩の指導は自分も指導をしてもらうのを拒否していたから、どうしていいかわかならいので

指導は、ずっと上司がやってくれればいいのに、自分の実力、価値はこんなものじゃないから、次々と

正当な評価をしてくれる会社に転職していくんだ、次も自分が納得のいく評価をしてくれなければまたやめればいいや、

面倒な地味な基本的な仕事はすっ飛ばして、目立つ楽しそうな仕事をすぐに任せてほしい、、、、

などなど、ほとんど我儘、ともとれるような言動を耳にすることもしばしば。

自分がやりたくないことは、他人がやればいい。

それでは社会が成り立たないのでは?

自分は夜勤はしたくない。

でも、自分が生活するときには、コンビニも病院も休まず営業していてほしいから、誰かが働けばいい。

自分は、旅行だ、フェスだ、なんだと遊びたいから、自由な時間で働きたい。

だから、自分が働く時間以外は、ほかの人が働いてくれればいいじゃん。

というように聞こえるときもある。

社会は、一人一人が、自分の役割を果たすことで成り立つのでは?

たまたま自分がやれないこと、やりたくないことを積極的にしてくれる人もいる。

だが、子供じゃないんだし、働くということは、労働の対価として賃金をただくこと。

たまたま労働が趣味のごとく自分の楽しみにつながっている人もいるが、会社から賃金をいただく

ということは、ある種、会社のために自分の時間と労力をうっているということ。

相応の賃金をいただくには、多少なりとも自分の欲を抑えて、我慢する、妥協する、ということも

必要なのでは?

自分の好きなようにだけ働くなら、金銭的には裕福になれない可能性もある。それでも自由な好きなように生きることを

望むなら、それはそれでいい選択。

ただ、それで生活が苦しいから、国が税金で補助してくれ、金銭的に不平等だ、と大きな声を上げるのは、

ちと違うのでは?と思います。

最近のいろいろな分野での権利主義、差別論、などなどに、いろいろと考えるところがあったので、

私見を展開しました。

働くということは、決して苦しい、いやなもの、ということではなく、楽しいことであると思います。

物を作ること、生み出すこと、提供すること、、、、、。

それは、心を豊かにする活動だと思うので、仕事も楽しむ、その結果、金銭もいただけるので生活が豊かになる、

こういった形が、いい形なんじゃないかなと思います。

その仕事に楽しみを見いだせるかどうかは、仕事の内容にはあまり関係がない。

その仕事を見る己の心の持ちよう、見方の問題なんだと思います。

どんな仕事にも、楽しみを見つけることは、可能だと思います。