ありがとう、を大事にしないと

2024年01月29日 こころ院長ブログ

今朝の新聞記事にも、子育て世代の方々が、子育てが大変なのに

仕事では、育児休暇や子供のことで急な早退などをしたりする際、

いつもあやまってばかり。

すみません、ご迷惑をおかけします、申し訳ない、、、、

なんでだろう。

とストレスを感じているとか。

私も子育て世代ですから、気持ちは、わからなくもないです。が。

もちろん、子育て支援政策を充実させることも一つの方法ではあるかと思います。

ですが、それには時間とお金がいっぱいかかる。

待っていられない。

今すぐなんとかしてほしい、という気持ちもあったりしますね。

でもこれって、子育てが特別ではないとも思います。

介護をされている方、持病をお持ちの方、お住まいが遠方である方、その他にも、

さまざまな理由で、早退や遅刻、欠勤が必要な方はおります。

そういった場合でも同様のことは考えられます。

子育てのことだけではなく、さまざまな理由に対して、対応していかないと。

例えば、保育sy保育sy尾の問題とかもありますが、学校の時間を勉強の5ー6コマと

そのほかに、部活、という選択肢のほかに、放課後豊場出る時間も、学校で

希望者は18時くらいまで遊んだり、勉強したり、習い事をしたりして行ってもいい、

という子供達が安全に預かり?待機?できるシステムを国や自治体が予算を出して、

やってあげたらどうだろうか?

学校という場所を提供してあげて、そこに、格闘技や運動を教える人、楽器を教える人、

美術館・技術を教える人、パソコンを教える人、さまざまな社会勉強を教える人など、

仕事として、大人が保育、監視係として介入して学校の先生の負担を軽減するとか。

親は、夜は危ないので、迎えに来るとか、依頼して料金を払えば送迎のバスが出るとか。

いっそのこと、夕食も、学校に食堂を開いたりして、子供たちの食の貧困に対応したり、

それも、公費を入れて安く子ども食堂のように、100−200円くらいの材料費くらいで

食べられるようにしたりして。

そういう中で、子供達を触れ合いたい大人の雇用も生まれるし、地域の大人と子供たちの

関係性も密になり、不審者からの防衛にもつながりそうな気もします。

本当は、介護施設と学校や保育所を同じ敷地内で運営すると、清掃や送迎、給食その他の

オーバーラップする部分のマンパワーや経費、スペースなどを共有できて効率的だな、

また高齢者と子供達、若者たちが一緒の、近くのコミュニティで生活するのって、お互いに

プラスなんじゃないかな?っておもったりします。

介護も、育児も、教育も、もう別々の事柄、仕事と考えないで、全てを人の営みとして、

まとめて大きな目で対応していく必要があるんじゃないかな?

なんて、難しそうですめどね。

話はまたそれてますけど。

まずやるべきことは、気持ちの転換。

すみません → ありがとう

申し訳ない → 感謝

これだけでいいのではないかな?

これなら、誰も関係ない。自分の心一つ。

お休みいただき、ありがとうございます。

急な早退に対応してもらって、ありがとうございます。

などなど。

他の人にありがとう、っていうのって、日本人は、ちょっと照れ臭いところもあるけど、

悪い気はしない。

ありがとう、っていった方の心もなんだかポカポカします

ありがとうって感謝されて割る気がする人も少ない。

ありがとうって言われたら、いいよいいよ、大変だねって気持ちになる。

感謝の心を持っていれば、自分もいつか、他の人が大変な時には協力してあげようって思う。

すみません → ありがとうにするだけで、育児や介護その他の精神的なストレスや環境は、

ガラッと変わるかもしれない。

今日からでも始められる子育て対策、介護対策かもしれない。

すみませんって誤っている人よりもありがとうって感謝してくれる人の方が、

不思議と支援の手は、多く伸びてくるんじゃないかな、と感じます。