圧倒的な力を自覚すべき

2024年01月16日 こころ院長ブログ

メディアといえば、昔は巨悪と戦う、正義、のような印象がありました。

大物政治家の闇を暴く、とか、大企業の、大きな産業の公害の隠ぺいを明るみにする、とか。

でも昨今のメディアや善意の匿名の発信などは、どうなんだろうか?

うわさや確定していない情報だけで、テレビやネットニュース、週刊誌、SNSなどで大々的に発信して、

それが真実かのように大きく取り上げる。

世界中に発信する。

飲食店などの客商売、人気商売、その他の人たちは、疑いだけで実名報道や口コミ投稿で、

大きな社会的なダメージを受けます。

一度広がった風評被害は、一生消えません。

今まさに、現在進行形でも起こっていますね。

真実は、我々には、知りようがない。

これって、個人同士で、弁護士を挟んで裁判で、罪があったのかなかったのかをはっきりさせて、罰するのか、

しないのか、決めるのが司法なんじゃぁないのかな?

メディアの人は、記者会見を開くべき、義務があるというけど、私はそうは思わない。

記者は、己は安全なところにいて批判するだけ。

記者会見場は、記者のホームグラウンドで、会見を開く人は、大勢の敵意ある記者に囲まれて袋叩きの構造になり、

言い訳や説明をしようとしても、切り取りや揚げ足取り、アンチの人の批判炎上の的にされるのが目に見えている。

裁判するなら、発言は制限される。

歯切れの悪い会見になれば、反省が足りない、心が足りない、説明が足りない、そんな会見なら開かない方が

良かったなどといわれるだろう。

説明だけなら、YOU TUBEなどで、質問を受け付けずにするという方法もあるが、きっとそれでは、また炎上するのだろう。

そもそも、個々人間の間のトラブルに対して、もしかしたら、すれ違いや冤罪?の可能性もある状況で、

すでに働けなくなるほどの社会的制裁をメディアが、個人が、個人に対して与える権利ががるのだろうか?

ちょっと、恐怖を感じる。

別に擁護するつもりはないけど、中立的に、今後の動向を一般の人は、情報を整理して、評価すべきじゃぁないかな?

思い込みは、危ない。

片方からの情報だけをうのみにするのは、人権保護や差別しない、人道的とは言わない。

そして判断するのは裁判所の役目。

個々人が判断して、リンチをしてもいいということはない。

SNSで他者の批判を発信するときは、メディアが他者の批判をするときは、発信者が、

最大権力を持っている、暴君ともなりうるくらいの力を持っている、

ともすれば他者の、お店の、会社の、命運を終わらせるくらいの力を持っている、

大げさに言うと、それくらいのことをしようとしている、と自覚したうえで、

発信する必要がある。

少なくとも安易に、気に入らないから、評判悪くしてやろう、なんて軽い気持ちで、

発信していいものではない、と思う。

そういったことを、小学生や中学生に指導していく必要がある。

たった一言のつぶやきが、お店のマスターが20年積み上げてきた評判を

簡単にひっくり返すことだってできちゃうのだから。

善意の匿名は、権力者であると認識すべき。

だいぶ前から、SNSの広がりで、匿名の善意の人、という自分は素性を明らかにせずに、他者やお店などを

過少に評価したり、批判したりして、その人たちの評判を貶める行為が問題となっていたと思う。

食べログなんかの辛口コメントのせいで、お店が傾くこともあっただろうに。

もちろん、そういった批判的なコメントから、悪いところを洗い出して、治して、サービスを向上させるという

メリットもあるが、あくまでも個人的な感想であるということが前提にあることを、読んでいる人が

認識しているだろうか?

辛口コメントが5件あっても、そのお店に訪れる人が1日100人いたら、ひと月で2500人くらい来るわけで。

2500人中の5人の意見が、お店の印象を決めていいのだろうか?

こういった評価をしていくなら、いっそのことお店で支払いをするときか、する前に全員が、ワンタッチで、

満足度を5段階評価で押していく、とかすれば、その平均評点がお店の評価になる、というなら、

割と信頼に足る評価になるかもしれない。

それでも、悪意をもって悪い点をつけていく客、というのも存在する。

ライバル店の人が、評価を下げるために悪点をつけるということもある。

もう、それを言い出したらきりがないケド。

様は、いちいち、お店の人を批判し、貶めようとしなくても、行きたくなければ、もうそのお店には、

自分は行かなければいい。

わざわざ、お店の悪評を立てて、社会的なダメージを与えてやろうとしなくていい。

それは、そのお店は罪深いから、わが手で罰していやるという、上から目線の、おこがましい行為に

近いのではないかと私は思います。

なぜ、自らの手で罰したい、と思ってしまうのであろうか?

車の運転の時とかもそうだけど、匿名のSNSでのつぶやき、食べログなんかの匿名コメントなどは、

とくに、普段穏やかな人のイメージがあっても、なんか、豹変してしまうような人がいるんじゃぁ

ないかな?

穏やかな気持ちで、譲り合えばいいのに。

ずれちゃったけど。

真実が確定していない容疑の段階では、疑わしきは罰せず、のルールがあるのに、今まさに、

メディアが、こぞって、個人を社会的地位から引きずりおろして、抹殺しようとしているように見える。

裁判も行われていないのに、週刊誌が個人を罰していいのだろうか?

今やメディアやSNSで簡単に人を社会的地位から引きずりおろすことができる、抹殺することができる。

つまり、メディアや匿名の個人の方が、芸能人や会社なんかよりもパワーを持っている。

パワーバランスは、昭和のころとは全然違う。

上司と部下なら、上司の方が気を使い、ハラスメントに注意しつつ、いつ引きずりおろされるかわからない恐怖と

上司の責任などに挟まれて、苦しんでいる場合もある。

管理職は、罰ゲームと揶揄されていることもあるそうだ。

部下からのパワハラ、というものも存在する。

なんでもハラスメントの呪いに縛られて、ストレスだけをためて、効率的な仕事ができなくなっている状況も

起こったりする。

社会情勢が変わっているのに、いつまでも昭和の、平成のパワーバランス構造、差別構造のスタイルだけが

継続的に存在しているという前提で、いろいろな話を進めると、逆差別や冤罪を生みかねない。

痴漢冤罪、もそいった思い込みから、起こり、何人も社会的に抹殺されてきたのかもしれない。

不確かな情報により、社会的に人を抹殺してはいけない。

あくまでも、情報を整理して、判断し、判決し、罰するのは、日本においては、裁判所だから。

あとは、できる限り、理知的で、公平で、スマートな裁判を行ってくれる裁判官、検察、弁護士の方々が

いっぱいいてくれることを願うのみ。

私は、古い人間なのだろう。

SNSがとても怖い、と感じます。

こんな内容の記事でも、批判されたり、怒られたりするのかな?

中立的に判断することが大事なんじゃ?という話なんだけど。