2023年12月21日 こころ院長ブログ
いろいろなことをするときに、一部、よからぬことをしたり、手を抜いていたり、
簡単に済ませていたり、、、、
その際に、必要悪ですから、という話を聞くことがあります。
必要悪であり、悪いとわかっていても、必要だから仕方なくやっています、
やってあげています、という印象を受けますが。
本当かな?
単に自分を正当化しているだけ、言い訳しているだけじゃないかな?
様々な理由があり、こぼれ落ちていたり、見逃されていたりしているところに手を差し伸べているのかも
知れません。
必要なのは必要なのかもしれない。でも、悪、である必要はあるのかな?
いや、ないはず。
必要であっても、悪である必要はないはず。
必要とされているなら、手を差し伸べるが、その方法は悪ではなく、正統な、善な形であるべき。
そうできないなら、そうできるようにかえるべき。
今の悪の形でしか差し伸べられないなら、別な方法で手を差し伸べられるようにするべき。
必要悪と称してごまかしているから、またみのがされてしまう。
必要悪という言葉にごまかされて、悪の手を握ってしまう。
必要であるなら、できうる限り善であるように努力すべき。
必要悪でも悪と分かっていて行っているなら、やはり悪、なんじゃないかな?