2023年12月12日 こころ院長ブログ
子供三人以上になると、最初の子から大学無償化。
これの意味がわからない。
無償化するなら全ての子供にすべき。
生活が苦しいのは、子供が多いからではない。
それぞれの家庭環境による。
2離以下しかいない家庭では、大学は諦めろと?
そもそも、大学行く必要ある?
大学に行って学びたいかどうかは選択。
そこに国がお金を出す必要性はない。
そんなことよりまずは、小中学の義務教育でかかるお金を
無償化したら?
学費、給食費、修学旅行代など。
北国では、結構負担になるのが、体育で数回しかないのに、
成長に合わせて買わされたり、レンタルさせられたりする
スキーやスケートのセット。
部活のユニフォームやジャージを揃える、遠征費なんてのも
結構負担。
部活に入らないといけないみたいなのも、選択でいいんじゃない?
試合に出たくない人は行かなくてもいい、くらいでもいいのでは?
そもそも、教育の無償化は義務教育まででもいい。
補助を受けられる人受けられない人が、出る割合が大きいほど、
格差、差別が増えていく。
世の中的に高校卒業の教育が必要なら、高校まで義務化して、無償にすればいい。
税収がある東京だけ高校無償化とかは、差別、核災害の何者でもないような。
東京の知事、政治家は、東京都のことだけを考えればいいわけではない、北海道知事とは
違うと思う。首都の知事は、国のことをもっと視野に入れるべき。
東京都の税収が高いことの理由は、近隣県を含めた日本全国から首都だからこそ
集まった税収がいっぱいあるのだから。
東京にお金が予算がいっぱいあるからといって、それを東京のためだけに使っていい、とは思わない。
そもそも、大学無償化って国がやるほど、お金もないのに、大学って行かないとダメなもの?
大学でも真面目に勉強する学生って、どれほどいるの?
遊びたい、自由になりたい、ってだけなら、無償化する意義はない。
そもそも4年間もいるの?
2年でみっちり勉強したらいいんじゃないの?
医学部だったら、6年も要らなかったな。4年でも十分。
2年や3年にして、研修医を長くする方が、医学的な知識とスキルは身につくかもしれない。
文系や理系の補完学部のことはわからないけど、多分、4年要らない。
あと、就職したり、出世したりするのに、修士や博士の称号もいらない
形ばかりのそんな称号よりも必要なのは、本人の中身。
裏金問題で、失墜している与党、政治家の起死回生みたいな感じで、少子化対策を
何が何でもみたいな感じがするけど、全然見当違い。
悪いことしたのなら、まずはそれを誠心誠意、説明して、弁解して、許しをこう、
償うべき。
政策とか別のことでの評価を狙って、目線を逸らそうとしてはダメ。
少子化対策と汚職の問題は、全然別の問題なので、汚職でもおめている時に
急いで結論出そうとしないでほしい。
そもそもの少子化対策とずれている。
大学無償になるから、子供産もうか?ってなるかなぁ。
まず、少子化対策に使える予算を作った方がいいのでは?
増税ではなく、予算編成で。
子供手当、辞めちゃえばいいのに、その代わり、子供にかかるおおよその予算、
例えば、衣服・食・学校・保育園にかかる予算を子供のマイナポイントに
付与してあげて、それを多くの企業と共同して、使えるようにして、
ある程度自由に選択してサービスを受けられるようにしてあげたりしたら、
いいんじゃない?
せっかく子供に対して補助を出しても、子供に使われなかったら意味がない。
子供のためにしか使えないように十分に付与してあげたらいいでしょ。
子供それぞれに付与する、減じるなら、何人子供が増えても条件は同じ。
徳だとかそんだとかが生まれない。
なんだか、免除だ、扶養だ、補助だ、所得制限だなんだと複雑にし過ぎているような気がしますね。
子供人ににつき、どのくらい国がバックアップすれば、子供が安心して生きられるのか、
それだけを考えたら、もう少しシンプルに予算が考えられるんじゃないかな?
色々なことをしすぎると、それに伴い、手続きやデータ、書類、統計、集計、確認などに必要な
役所や人材、仕事などの経費がかさみ、また人為的なミスが起こる確率も増えるし、問題点も
起こりやすく、修正するのも複雑になってしまう。
子供については、義務教育無料、一人当たり衣服・食事が十分に担保される補助、医療費一定額無料で
高額医療費補助、保育施設充実して希望者は待機なく入れる、などなど。
あとは、我が子を育てるんだから、親が自分で負担すればいい。
子育ては、自分でしてみてわかるけど、手がかかる、お金がかかる、それでも可愛い、もの。
何でもかんでも補助され、手助けされて、いいとこ取りだけしていたら、苦労がなく、
そこには、可愛がるだけしか残らない。
大変というが、大変で当たり前。
自分もそうやって育ててもらったはず。そして今がある
自分の番になったら、大変だから、やだ。子育てしたくない。というのは、どうなのかな?
世の中は、いいことも悪いことも、楽しいことも、辛いこともある。
ひっくるめて世の中。
子育ても然り。
大変な思いをして育てた思い出は、後で、楽しい、幸せだった思い出になるものもいっぱいある。
今はもう、若い頃の苦労は買ってでもしろ、的なことは、はやらないのかな?
大変な思いをすれば、強くなる。
ワンピースなどのみんなが好きな漫画の中では、窮地に陥るほど強くなり克服するストーリーが
受け入れられているけど、実際の世界では、受け入れられないのかな?
親が子供の犠牲になる、親として子育てすると自分の人生が犠牲になる、そう考えてしまうのかな?
子を育てることが自分の人生の目的の一つ、役割の一つ、とは思えないのだろうか?
子供はいつか、巣立っていく。自立していく。
それまでの間、自分の生活の何割かを子供に当ててもいいんじゃないかな?
若者もいつか、歳をとり、がっつり働けない時が来る。
その時は、その時の若者に支えられることになる。
ならば、今、若いなら、働けるなら、がっつり働いて、今、他の人を支えたらいいんじゃないかな?
遊びたい、自分の時間を過ごしたい、そういう思いもわかるけど、そういう時間って、
ほしい人には、いくらあっても足りないはず。
なんなら、お金もらえるなら、働かないで、ズーーと遊んでいたい、自分の時間を過ごしたい、
って思っちゃうかも。
そうなったら、勤労時間なんて、何時間にしたって、うざい、だるい、長い、苦痛、働きすぎに
なってしまう。
勤労条件をどんどん絞っていくと、働き手がどんどん足りなくなり、いずれ、サービスが行き届かなくなる、
経済が回らなくなる。
こうしたいああしたいという、希望を叶えるために、技術やサービスは発展するのだけど、
自分自身が勉強する、仕事をする、努力をする、誰かのためにはたらく、そういう心根の部分を
失わないようにしないといけないなぁと思います