2023年12月07日 こころ院長ブログ
高齢者、小児など、自分では、新たに財産を作ったりできない人々に
教育や医療などの基本的な人としての生活水準の部分で差別したり、格差を
国がわざわざ産んではいけない。
教育は、義務教育まで無償化が当たり前に、親の所得制限なんてもってのほか。
医療については、無料から3割負担まで、格差がありすぎる。全員が、一定量の
自費負担を負うべきもの。
理想を言えば、子供は無料、生活保護者・高齢者は1割、勤労者は3割でもう固定しちゃった方が、
いいのでは?と思ったりすることもある。
勤労者については、支払い上限とかも所得制限を撤廃すべきだと思う。同じ医療を受けるのに、
支払い金額が違うのは、これは格差是正ではなく、差別であると考える。
それよりも、保険料を累進課税的に収入に応じて多く支出して貰えばいいだけ。
何かにつけて、格差是正と称して、所得制限や格差をあちこちでつけるのは、差別。
もっと、収入に応じて予算を出してもらう、という一点に絞って、収入が多い人に、
サービスに必要な予算の多くを支出してもらうというように目的や必要性がわかりやすいように
支払ってもらった方がいい。
多く支払っているのに、サービスを受けるときは、サービスの料金をさらに多く支払わなければ
ならなかったり、むしろ、所得制限でサービスを受けられなかったりって、格差是正だと
声大きく叫ぶ方々には、やれやれーって感じかもしれないけど、毎度毎度、支払いを多く
請求されたり、サービス受給に不平等を受けている方々の気持ちを考えと、心が痛む。
所得が多めの人は、税金や保険料などは、多めに支払ってもいたしかなたいとほとんど人は、
思っているはず。
むしろ、サービスの受給に逆格差、逆差別をされていることが、実は不満のほとんどなんだと思う。
同じ国民なんだから、同じサービスを受ける権利があって然るべきなんだと思うけどな。
高齢者の医療費負担、2割なんて、また愚策を。
2割にしてしまうと、医療費の支払いのせいで、病院にかかりたいけど、かかり控え
する人や必要な薬を処方しないでほしいという人や訪問診療にしたいのに、
払えないからと転びながら受診して救急搬送される人人が増えかねない。
その実、生活保護を受けいている方は、医療費無料なので、その心配がない。
セーフティネットといえばそれはいいが、多少の蓄財があるからといって、
医療という生命の根幹、生活の根幹に関わる部分で、多少の蓄財があるなしで、
ここまでの差別、格差があってもいいのか?
高齢者負担を2割、3割とあげることを検討する前に、まずは、生活保護受給者の
医療費負担を1割にする方が先なのでは?
と思う。
無料であるが故に、CTやMRIなどの高額な画像検査をバンバン適応以上に撮影したり、
効能とは無関係に、高額な薬品や注射を処方したりしている病院もある。
生活保護の方には、短期処方にして、何回も受診させて、外来患者数を水増ししようとしている
病院もある。
そんなことで医療費がカサマシされているなら、1割負担にした方がいい。
それにより、無料であるが故の安易な受診が控えられ、不要な検査が抑えられ、医療費の
適正化が行われるかもしれない。
多分、だいぶ医療費、介護費が削減されるだろう。
生活保護の状態で医療費負担なんて、急に言われても困るという話になるだろう。
しかし、本来は、医療費は、少しは自費が発生すべきもの。もしも、生活保護の方の生活にそれで
支障が出るようなら、また別な政策で、医療介護保険料以外の予算から救済をかけたらいい。
まずは、高騰し続ける予算としての医療介護の保険料を適正化しないと、単純に高齢者その他の医療費、
介護費がただただ膨らんで悪だという印象操作が行われて、ひいては、多くの人が受けられる医療介護サービスに
多大な制限が加わることになってしまうかもしれない。
何をするにしても、医療費無料は、やりすぎ。
まして、収入がなくなる高齢者の中で、2割負担の人を増やすというプランを立てているなら、
尚更、無料は、差別、格差がひどくなるんじゃぁないかな?
そして、直接的な医療、介護ではない鍼灸やマッサージは、おそらく、今後、完全に、
保険適応ではなくなるだろう。
介護医療費を削減というなら、本当に必要な、医療や看護、ヘルパーなどに重点を置いて
医療介護費を支給すべきであるから。
おそらく、鍼灸、マッサージは、すべて自費で、という扱いになるだろう。
それによりかなりの保険料が削減される可能性が高いから。
診療報酬改定で、診察料を削減するという現実を、現場を何にも考えていない案が出されているが、
まずやるべきは、過剰に、無駄に、差別的に、格差的に使われている医療費の効率化、適正化を
図る方が先じゃないかな?
やれば、各方面からの反発を喰らうことは間違いないが、適正化はするべき。
同一労働同一賃金と言いながら、ある意味、同一労働の診療、介護に対して、賃金を
今のこの円安、物価高、経費高の最中に、下げるって話を堂々とする役人、政治家に対して、
ちょっと人としてどうなのかを疑う。
それで本当に介護士の、看護師の給与水準を上げようと考えているとは思えない。
診療報酬が下がれば、病院の売り上げは下がる、つまり、スタッフの給与は下がる可能性が
ある。
介護士の給与が下がれば、もはや成り手はいなくなる。
成り手がいなくなってから、また別なところから、介護士の給与が安すぎるという話になって、
なんでだって騒ぐ。
保育士のことだってそう。
結局、お金のこととかをある視点でしか見ていないで、ある種の人々の中だけで、会議室で話し合い、
ある視点での解決策を議論して、ある視点の問題位のみを解決しようとするから。
だから、他の視点での問題がより悪化したりして、短期、中期、長期的に見て、状況が悪化したりする。
保育士だって、介護士だって、会社にお金がもう少し入るようにしないと、スタッフに給与配れるわけないじゃない。
赤字、倒産寸前の会社が、給与アップできるわけがない。
結果、スタッフが離れて行き倒産。
介護士、保育士が不足し、介護や保育を受けられない待機が増える。
大気を解決するために、会社の開設基準を下げる。
粗悪な会社が増えて、トラブルが起き、規制が増える。みたいな。
政治を行う中で、税金、予算という億単位のお金をどうやって引っ張るか、どうやって削減するかを考えてばかりいて、
実際に数百円単位で生きている我々庶民の生活が見えていない、考えていないのではないかな?
実際の現場で起きていること、感じられていることを予想することができないから、
差別や格差、搾取、不適正つな労働環境、給与水準が、煽られてしまうのではないかな?
これからの政治家は、もっと現場主義的な人が台頭してきてもいいんじゃないかな?
いわゆる大物政治家と呼ばれる人の生活環境、思考水準は、本当に、国民の代表として、
正しいのかな?
個々人のことなので、大きくひっくるめて言えることではないが、政治家は、国民の代表であるのだから、
役人は、公僕と称されるのだから、国民生活の現場のことをもっともっと、ちゃんと知るべきだし、
その努力をするべきなんじゃぁないかなぁと感じることがあります。