感情をコントロールできたら、さらに高みみへ行けるかも。。。

2023年11月12日 こころ院長ブログ

人は感情の生き物。

他の動物にも感情はあるだろうが、人はおそらく、他の生き物よりも強く

感じ、強く表現する、強く影響を受けるのではないだろうか?

その感情を制御できる、手綱を弾けるようになったら、さらなる高みへと

立てるのではないか?

人は感情の生き物である。

だからこそ、失敗することがある。

人は、見たいものを見る、聞きたいことを聞く。

自分が好きなもの、自分にプラスのもの、自分に都合がいいもの、などを

見聞きすることを好む。よく見える、よく聞こえる。

自分の嫌いなこと、自分にマイナスなこと、自分に都合が悪いものなどは、

見聞きしても、見えない、聞こえない、見ようとしない、聞こうとしない。

理解しようとしない。

自分の好みや意見に合うように、勝手に解釈して、見聞きする。

目隠しをし、耳栓をして、自分の好きな映像と音楽だけを効いた状態で、

他の人や社会と対面して、周りのこと、相手のことが正確に判断できるだろうか?

自分に都合が悪いことや気にしていること、つっつかれたくないところ、弱点、

欠点、ミスなどを自覚して居る場合、それが自分に向けられた悪意と錯覚し、

攻撃されたと勝手に判断し、仮想の敵を作り、敵対行動をとってしまう。

人の社会では、こういったことが、ミスや衝突、喧嘩、戦争などの火種となって

いる場合が結構あるのではないだろうか?

喜怒哀楽、憧れ、羨望、尊敬、敬意、敵意、失望、嫉妬、生理的に無理。。。

などなどの感情によるバイアスが、現象、言質、行動、事象に対する

評価、考察などに影響してしまい、客観的な俯瞰した視野を失い、視野狭窄に

陥り、結果、自身の結論や行動をミスリードされてしまっていないだろうか?

それは、悪意のある他者が、その人を陥れようとするために、さらに他者に

情報操作や誘導をかけることで、己の手を汚さずに、目的の相手を排除する、

そんな策謀を練る人がいる。

現に、歴史上、そんなことで、偉大な人々が足元を掬われ処刑されたり、

抹殺されたり、失脚させられたりして、歴史が動いたこともある。

それが人の自己欲、業、というものなのかもしれない。

ある時から、私は、そういったことに気がつき、己の感情をコントロールすることを

意識するようになった。

元々、平和主義者であり、争うことを好まない、怒りに任せることを好まない性格

でしたが、そもそも心を凪の状態にしておけば、多少のことでは腹は立たなくなります。

腹を立てるということは、すでに怒りという感情に支配されてしまっている。

その瞬間に、もはや現象の冷静な判断力、正確な判断力は欠如している。

ミスリードされる可能性が高くなっている。

特に、リーダーや上司などの他を先導するものは、感情をコントロールして、常に

冷静な判断と評価が求められると思います。

冷静な判断のもとで行われない決断は、うまくいくこともありますが、失敗などにつながる

可能性がある。

欲や業があっての人間。だから面白い。のだけど、仕事や大事なことの判断には、

それを一切とは言わないけども、可能な限り捨てて、押さえて、冷静な判断力が

求められるのではないか。

このブログは、私の私見を徒然なるままに記載するサイトですので、しばしば、

誰に師事したわけでもない私なりの心のあり方の解釈を垂れ流しています。

多くの人に、目から鱗でしたとか、すごくよくわかったとか、ちょっと違うかも、

とか色々な感想をいただきます。

それでいいのだと思います。

心のあり方に、こうでなければならないということはない。けど、こうであった方が

うまくいく、心地よいかも、という指針のようなものが、幾つもあれば、

その中から自分に合うものをチョイスして、さらに、自分なりにアレンジして、

自分だけのオーダーメイドの心のあり方を見つけていばいいのだと思います。