2023年11月09日 こころ院長ブログ
格差社会を誤解している。
何らかの資格を持つ人、危険な仕事をしている人、労働時間が長い人、
特殊な仕事をしている人、技術を持っている人などが、
高収入を得るのは当たり前。
定期で短時間しか働かない人、仕事よりもプライベートを優先して、そこそこ
しか働かない人。
この前者と後者の間で、給与格差、経済格差があるのは当たり前。
むしろそこを格差是正と称して、前者から多くのお金を徴収して、後者に配り、
経済的な差をなくすことは、格差の助長、差別に等しい。
今の日本では、高所所得者からとにかく金を奪い、低所得者に配り、
その差をなくす方向が格差是正で正しいと、認識されているようだ。
これは、資本主義社会では、誤りじゃないだろうか?
資本主義でなくても、労働に対しての対価は保障されるべきで、
同一労働同一賃金だが、労働に違いがあるなら、そこに格差が生まれるべき。
じゃないと、楽しても同じなら、みんな働かなくなる。
必要なのは格差の是正ではなく、チャンスがみんなにあること、
最低限度の生活が保たれること、にあるのではないだろうか?
みんな等しく同じ経済レベルにするのではなく、最低ラインを担保しつつ、
だれでもがんばれば経済的に豊かにもなれるし、そこそこで好き勝手するという
道を選べる環境にあること、じゃないだろうか?
経済的、物理的に補助して格差を是正するのではなく、格差を埋められるような
努力して報われるチャンスが平等にあること、が格差の是正なのでは?
経済格差の是正ではなく、チャンスの格差の是正がひつようなのではないだろうか?