2023年10月30日 こころ院長ブログ
子供が最近になってONE PIECEをアニメで見ている。
それを横から一緒に見たり見なかったあり。
自分の夢に真っ直ぐ、強い信念、揺るがないこころ、
屈しないこころ、海賊船の船長の仲間を信頼する気持ちと
守りたいという気持ち、クルーの船長に対する信頼と尊敬?と
したしみ、みんなが船を思う気持ち、海賊船としての大きな目標に
向けて時に個の利益を捨てての言動、船のため、目標のため、クルーのため、
船長のため、自らを鍛え上げ、磨き上げていく心と様、
多くの人の幸せを、命を大事にし、不正や悪を許さない様、
権力や暴力などに決して屈せず信念を通す様、
などなど、現在の若者たちにも、グッサリ刺さるのか、
ズーーと人気がありますね。
こういうことって、昭和の頃と何にも変わりない。
なのに、せっかく、いいことが、いいものだと、心に刺さるのに、
実際、それは、近しい友達や家族くらいにしか、時には、
彼らにも向けられないことがある。
自分の利益、自分が辛くない方向に、楽な方に、と考えてしまう
方向になっていないだろうか?
仕事をする上で、会社や組織、社会に対して、海賊船のような
気持ちになんでなれないのだろうか?
遊びたい、自分の趣味の時間をとにかく多く作りたい、休みたい、
けどお金はいっぱい欲しいい、会社のために、組織のためになんて
働くのは馬鹿馬鹿しい、なんて思う若者が増えていないだろうか?
自分の趣味に、遊びに、推し活動に、お金をいっぱいかけて、
生活が苦しい、お金がない、年配の人たちは自分たりより、給料が
少し多い、お金がありそうで、格差社会だ、などと考えていないだろうか?
今ある現象を、自分の価値観や尺度だけで、見ていないだろうか?
会社の先輩や上司は本当に、自分より給料をもらうに値しない?と
言えるだろうか?
彼らの仕事っぷり、仕事内容、仕事に対する思い、会社との関係性や責任、
責任感や今までの功績などを、評価する上で、どれほど知っているだろうか?
顧客や会社との信頼関係、信用度などをどれほど評価できているだろうか?
欧米化した感覚や思想が、勝手に良しとされているけれど、
ステップアップと称して、自分の待遇向上、スキル向上などを目的として、
どんどん転職していく欧米スタイルを真似する若者が結構いるようですが、
会社側、客側からすると、ぽんぽん転職する人は信用に値しない。
自分の馴染みの店で、自分を単乙してくれるスタッフが、行く度に
退職してマイいかい新しい担当者を紹介されて、その人に、十分な信用が
置けるだろうか?
いつもの人がいつもの対応をしてくれるからの安心感て、信用性って
ないだろうか?
会社の立場に立つと、1−3年くらいですぐに次の場所に転職していく人に、
どれほど信用して重要な案件、継続的な仕事、大事なお客さんを任せる
ことができるだろうか?
自分に、それだけのデメリットを払拭するだけのスキルの違いが、他者に
対してあるのだろうか?
必ずしも、そちらがいいというわけではないが、日本における半永年雇用って
それなりに、いいところがあったと思う。
海賊船をポンポン乗り換えるクルーがいたとして、他のクルーから、船長から
信頼を得られるだろうか?
もし、仲間や友達が、家族が、不正や罪を犯した時に、しっかりと責任を取ったり、
その人を正しい方向に意導いてあげることができるだろうか?
多くの人が間違えるのは、過ちを犯した仲間、友達、家族に足しいて、自分は味方だと、
過ちをしたその人を全面的に擁護してしまうこと。
友達を大事に、ということをはき違えてしまうこと。
過ちを犯したなら、正しい道に戻すように支えること、導くことが真の心じゃないだろうか?
友達の誘いだから、先輩の誘いだから、詐欺の片棒を担いでしまう、それって、
本当の友情でも親愛でもない。
犯を犯した友人を匿うこと、逃すことも本当の友情ではない。
世界一の剣豪になるという目標を持って、命をかけているゾロが、ある日、もう疲れたから、
別にもう一番じゃなくてもいいや、面倒だし、俺だいぶ強いし、これからは、適当に
面白おかしく海賊やっていくわって言って、果たしてルフィが、おお、そうか。
じゃぁ、一緒に肉食おうぜ、っていうだろうか。
きっと、お前何言ってんだ。世界一に剣豪になるって、言っただろう。
何、夢をあきらめてんだ、ふざけんなって感じで言うのではないだろうか?
命の危機があって、回避するのと、ただ単に嫌だから、辛いから、面倒だからと
逃げるのとは意味が違う。
本当にその人のためを思うことは何かは、その人を思う心が本物ならば、
考えるまでもなく、感じられるはず。
上部だけの友情や親愛、敬意しかなければ、それを取り繕うための浅はかな
言動につながる。
そう言う時に本当の人の繋がりって、よくわかってしまう。
だからこそ、時に、人の言葉の中の、友達が一番、友情が大事、家族が一番、
って言う言葉が、羽毛の如く、軽く感じることがあるのかもしれない。
漫画やアニメ、映画や小説などで使われている言葉を、己の信念や心を伴わずに、
真似っこして語るだけでは、言葉に重みは出ない。
普段の行動、態度、生き様があるからこそ、言葉に重みが出る。
アニメから感銘を受けて、それをきっかけに自分の生き様を変えることは、
とてもいいいこと。
ただ上辺の言葉だけを格好をつけて言うだけなら、誰でもできる。
漫画やアニメ、小説は、フィクションであるだけに、その言動は、
とても魅力的。
ただそれを自分のものとするには、それ相応の努力と苦しみ、犠牲、
根性、信念なども必要となる。
実を伴わないかっこいい言動は、逆に己を軽く、浅はかに見せてしまうことも、
考えておく必要があると思う。
子供の教育上、日本のアニメは、道徳的にも、倫理的にも、とても有益であるものが
多いと思うが、それをどのように受け入れて、吸収し、自分のモノにしていくかは、
本人次第なのかもしれない。