2023年05月16日 こころ院長ブログ
子供の能力って、概ね生まれつき平等、なんじゃないかなと思う。
もちろん、出生児に障害を持っているといい場合もあるので、
概ね、と言っておく。
それは、最近、子供と一緒にHANTER✖️HANTERを見ていて、
ふと感じたこと。
天才 キルアとゴンの秀でっぷり、成長スピードとその底なしの限界
について、すごいと感じる反面、それは生まれつきの才能?かなと
考える部分も。
何人か出てくる師匠の考えを考慮しても、家族両親の状態を見ても
多少の遺伝的な要素はあるのかもしれないが、それよりも育った環境、
育つまでの経験、に起因するものが多いと考えられる。
圧倒的なまでの長期間、早期からの耐久訓練、鍛錬、実践、自由奔放に
素直に自然の中で成長していく、具体的な目標を持ってそれに邁進する
性格と精神力を培ったことなど、
となれば、オギャーの段階では、ほぼスタート地点は同じ。そこから差が
つくとしたら環境と親、師匠、友達。
劉備の息子のボンクラ阿斗、諸葛孔明の息子のイマイチな仕上がり、それを
鑑みても、遺伝的な要素は、一因であっても、それだけでは大きな意味を持たない。
といえよう。
貧しい環境から、大天才、成り上がりが生まれたりという話もよく聞く。
その時にあるのは、壮絶なエピソードだったり、賢母や賢い大人の存在。
子供の教育格差を言うならば、日本では、学校教育は、義務教育は、平等に
与えられている。それを活かせないのは、親の責任、と言う面もあることを
忘れてはならない。
お金のあるなしは関係ない。学校の勉強を受けられる、あとは自分で勉強する、
それでも仮に東大に合格することが教育格差の上と考えている人がいるならば、
東大合格はできる。できないのは、それに到達する努力か、力が足りなかったから。
さらに努力すれば絶対に受かると思う。
親は、本当に平等か?そこが問題。親は、授かれば、親になれるのか?
それはただの名目上。
親になるための勉強や努力、鍛錬をしていますか?
子育てを、適当に自己流でやっていませんか?
それを何年も続けていくうちに、親としてのスキルを磨いた家族との間に、
子供の能力差、と呼ばれるものを生み出してしまってはいませんか?
子供は、環境で育つ。
親が、どう言う考えをしているのか、世の中にどういうことを思っているのか、
何を大事にしているのか、愛してくれているのか、躾けてくれているのか?
何を大事にしているのか、そう言ったことを見ながら、感じながら育つ。
親の背中をいて育つとはよく言う。
さて、自分は親になるための適切な考え方、子供との接し方、育て方、教育の仕方、
社会に対する考え方、参加の仕方、人との接し方、相手の心を考えること、
自分の心を育てることなど、そう言ったことをちゃんを考えていただろうか?
勝手に、オリンピック選手にしたい、野球選手にさせたい、東大に合格させたい、
医者にしたい、後継にしたい、そんなことを押し付けて、がんじがらめにしていなかった
だろうか?
もし自分の子供が、何か問題があったとしたら、その原因は、その子の特性なのだろうか?
自分がまず、育てる段階で、何か手抜きをしていなかったか?足りないところはなかったか?
自分の悪いところが似ていないか?自分は尊敬に値する親になっていただろうか?
子供を責める前に自分を振り返るべきだろう。
子供の能力は概ね同じ。あとは性格と個性があるだけ?なのかなと思う。
前にも書いたが、ギッフテットという考えには、ネーミングには、違和感を覚える。
ギフテットとは、神に与えられた能力?と言うことなのかな。
それは、なんらかの障害がある方が、特筆した能力を持っていることがあるという
ことだが、このギフテットという言葉が逆にそう言った方が良くも悪くも特別である、
というイメージを深層心理に植え付けかねない。
障害があると言うことがある、何か得意なことがある、と言う個性だと、そう言うことが
当たり前に受け入れられる世の中になったらいいなと思う。
それを実現していくには、良くも悪くも特別な、、、、というイメージをつけることは、
結局、みんなおんなじ人間だよと言う当たり前の平等な世の中にとっては、マイナスな
表現じゃないかなと個人的には思う。
もしかすると、怒られるかも、批判されるかも、炎上するかもだけど、これは、私見であり、
正直な考えです。
いいことも悪いことも、できることもできないことも、得意なことも不得意なことも、
見た目の良し悪しもそれぞれの個性であり、特徴である、くらいに捉えられたら、フリクションや差別は、
少なくなるんじゃないだろうか。
よく言う美人やイケメンだって、そもそも美容整形で作れるし、見た目が今の流行の中で良い
とされている、と言うだけの個性だよ。でも私の方が元気だし、とか、足が速いしとか、
そんな感じで、別に特別視する必要はないのではないかな。