2023年05月15日 こころ院長ブログ
推し活って、だいぶ前から流行っていたけど。
今は、友達を推し活するって。。。
なんじゃそりゃ?って、かんじ、おじさんからすると。
気に入った人や物を応援して、グッズを買ったり作ったり、
ライブやイベントがあれば行ったり、SNSやその他のツールでの
アクセス、いいね、応援したり、
芸能関係とかキャラクターだったら、お金と時間の多くを注ぎ込むような
活動のこと?でいいのかな。
芸能人ではなく、友達を推す。写真を撮ったり貼ったり、グッツを集めたり、
応援したり。。。。
うーん。
でも、楽しくやっているならそれはそれでいいね。
いじめをするよりも断然いい。
お互いいに嬉しい、楽しい、なら、誰にも迷惑かけてないしね。
芸能人に変にお金を注ぎ込んじゃうよりもお金をあまりかけずに友達を
している方が、断然いい。
利害関係も薄く、直接、推している人を、推してくれている人を幸せに
できているようだし。
でも、推すというのは、心の問題としてはすごく簡単。自分以外のものに
自分の思いをかけてしまうのだから。
要は、推す相手に依存しているとも取れる。それは、自分の苦しい努力や
自分自身の嫌な思い、その他のマイナスなダメージを受けにくい。
安全な位置からのハッピーの獲得とも取れる。
推し活動の最終形態は、自分自身を自分で推す、ということ。
そのためには、自分自身を応援し、自分自身をおされるにふさわしい状態に
するために、勉強、修練、訓練、修行、トレーニングを欠かさないこと。
それは苦しい、辛い、そして、活動の結果が必ずしも良いとは限らないので
推してくれる自分に対する結果という対価を十分に払えないという犠牲も
伴うかもしれない。
それは、得られるものはとても大きいが、かける時間と労力、お金などは
通常の推し活には比べようもない。が、それができたら、最高なのかもしれないね。
自分自身を推せるくらい、自分を磨けるかどうか。
ということ名なのかもしれないね。
そもそも推し活って、別に新しいことではない。元々、歴史上あった行動を、
新しいフレーズと時代にあった形態にしただけのもの?
古くは、主従関係なども推しかつ?のようなもの?
三国時代なら、最初は、劉備が諸葛孔明を推していた。三顧の礼といえば美談だが、
会う気は無いよと言っているのに3回も押しかけてくる。これは、孔明の
能力とその噂を聞き、是非とも軍師に迎えたい、教えを乞いたいという思いもあるが、
今で言えば、ストーカー、のはしり、とも取れなくもない。
そこから、劉備の軍師となった孔明、一生かけて、劉備に蜀に力を注ぐ。
これは、形が変わって、劉備に対する忠義とも取れるが、現代風にいうと、
孔明が劉備の蜀の推し活をしていた、とも取れる。
キン肉マン消しゴムブームだって、キン肉マンの推し活でしょ、言ってみれば。
なので、別に、推し活というものが、決して新しいことではなく、人類が
繰り返してきた行動なのかもしれないということ。
その対象が、身近な人、お金のかからない人などに移っただけのこと。
しかしこれは、本格化すると、アイドル業界、芸能界には、大きな経済的ダメージ
があるかもしれない。
要は、アイドルやスターの魅力が低下している、身近の魅力的な人に負けている、
と言えるのかもしれない。
おじさんから見ても、ダンスユニット、なんだかスター、なんだかアイドル、
なんだか俳優、なんだか女優など、同じようなものが乱立、薄利多売されているような
感じを受ける。だから、新しいものが出ては消えしていき、何が何だか
わからないような印象も受ける。
昔のように、芸能界にデビューして有名になるのにものすごいハードルがあるわけでは、
なくなっている。
YOU TUBEから、直接有名になる人も出てきているし。
それは、裏を返せば、出てくることは容易で、出てきたのちに、その価値を維持するということが、
大変だということなのかもしれないね。
ましてや、SNSで情報がダダ漏れする中で、有名人のスキャンダルが多すぎて、
夢も希望も失われつつある。
アイドル=偶像 という形っではなく、ただ、ステージにいる人、テレビで見る人、
くらいに軽くなってきてしまっているのかな?と思ってしまう。
はてはて、脱線し放題ですが、そんな推し活についての考察でした。