高学歴は、決して悪いものではなく、よいものである

2023年05月03日 こころ院長ブログ

高学歴は、絶対にいいものである。

感じ悪い、不必要、よくないイメージ、など、よく誤解されているが、基本的には、よいものである。

学歴があるということは、少なくとも学問を頑張った結果。

頑張った結果が悪しきものであるはずがない。

全ての職業において、悪しきものではない。

歴史を知っている、科学的に検討できる、広い視野を持っている、

外国語がわかる、日本語をよく知っている、物事の行間が読める、などなど。

医業だろうと、サービス業だろうと、建設業だろうと、スポーツ芸のだろうと。

高学歴はあるなら、それは、プレスでありこそすれ、マイナスになることは無い。

ある仕事で、同じ仕事ができ、同じような人間性であれば、高学歴であることとないこと

しか差がないのであれば、高学歴の方がいい。プラス要素があるのだから。

しかし、世間的には高学歴の人は、とかく、悪くみられることが多い。

高学歴の人は、常識が無い、人間性が悪い、使えない、融通が利かない、頭でっかち。。。。

それよりもたたき上げの方が、ずっと有能だとか・・・。

実は違う。高学歴と上記は別物。

常識が無いのも、ひとが悪いのも、使えないのも、融通が利かないのも、学歴とは関係ない。

その人のひととなりが原因であり、学歴は関係ない。

たまたま、そういう人が高学歴なだけである。

高学歴で、さらに現場でたたき上げられたら、むしろ最強なのかもしれない。

だから、子供たちは、偏った評価、大人たちの勝手な言い分で、それを都合よく解釈して、

自分には勉強は必要ないなどと、勉強から逃れる言い訳を探してはいけない。

勉強したうえで、必要が無いかどうかは自分の価値観で判断しなければならい。

勉強は、子供にとっては、面倒くさい、面白くない、やりたくない、つらいものであることが多いが、

必要なものである。

野球選手になるから、野球の練習を早くから、それだけしていればいいわけではない。

高学歴と仮にいったが、別に、大学名などはどうでもいい。要は、過去の英知を、知識を

勉強したかどうか、自らの頭の使い方を学んだかどうか。

それを、簡単に、客観的に言うのに仮に高学歴としただけで、別に、高校や大学に行かないで、

独学で学んでも、同じこと。学歴は無くても、その知識とスキルは本物であれば問題ない。

学歴みたいななんらかの所属的なものがステータスになるものに、料理人やパティシエなら、

海外の星付きレストランで修行したとか、誰それに師事してお墨付きをもらったとか、

そういった類のこととなことと同じ様なことだと思う。