どっちに行きたいの?

2023年03月01日 こころ院長ブログ

格差社会をなくすために、ひだすら再分配を試みる社会。

今のところ、日本は、そっちの方向にどんどん進んでいる。

だからこそ、累進課税を強化し、子供手当、なんだか手当など、

やたらと所得制限を設けて、ばらまいている。

さらに、高齢者の負担を増やし、出産を促すために、子育て世代に

ばらまく。

高齢者の資産持たざるざる方々には、さらなる格差が広がっている

ようにも見える。

欧米、特にアメリカに追従するように、そちらがさも正しいかのように

日本を誘導しているような気がする。

給与の能力評価を推進していきたい、希望しているという若者が多い。

それはそうだろう。

若くても能力がある?(何をもって能力があるというかは、会社によるが)

人は、高収入が得られ、自分の数倍のキャリアがある人をもごぼう抜きに

できる可能性があるから。

能力がある人は、どんどん高収入に、能力が低いとされる人は、どんどん

低収入に。

資本主義なら当たり前。とも考えられるが、日本の終身雇用制度では、

長年会社に貢献した人は、それを評価されて給与が上がったりしていた。

しかし、欧米基準なら、長く貢献していたとしても、能力的に他者より

低いと判断されれば、新たに、より能力がある人が来れば、容易に減俸、

解雇される可能性がある。

自分に自信がある人は、それでもいいと思うが、果たして、どれほどの人が

その能力があるという枠組みにはいれるのだろうか?

そもそも能力評価で高収入を、という欧米基準では、がっつり資本主義なので、

格差社会が前提となっている。

アメリカンドリームとはよく言うが、チャンスやラッキー、能力があれば、

だれでもセレブになれる。

半面、大半は、平均的もしくは、平均以下の所得で、それに見合った生活を

している。

一握りの金持ちと大勢の平民、貧しい人とに分けられるのが資本主義なのでは

ないだろうか。

格差社会は、資本主義の基本。

それを是正するためには、”能力がある高収入となった人”から、がっつり税金を

とって、それを、”能力がいない低収入の人”に配給して格差をなくすしかない。

いま格差是正の為に声をあげている若者のうち、自らが格差の高い方に、

能力を評価されて高収入になったときにも同じように、格差是正すべきだ、

もっとやれぇ、と声をどれほどあげられるのだろうか?

能力評価の所得格差が少なければ、果たして評価されたと満足できるだろうか。

満足できる評価があるなら、格差はかなり大きくなることが想定される。

そのうえで、格差是正策ががっつりとられたら、高収入を得ても、結局、税金を

がっつりとられて、評価される前と手元に残るお金がほとんど変わらないなら、

なんで頑張ればいいのだろう?

という気持ちにならないだろうか?

実は、いま日本で進められようとしている、能力評価と格差是正は、

微妙に相反する部分があるのではないだろうか?

日本は、理想を求めるなら、資本主義の見本的な欧米をまねてはいけない。

と思う。

日本独自の主義を確立して、世界に先駆けた、新しい経済システムを構築する

必要があるのではないだろうか?

おそらくは、医療、教育、衣食住などは、標準的レベルで国民に保証され、

さらに、所得格差で、裕福な人は裕福、スタンダードな人はスタンダードなレベルの

生活を送るような、スタンダードな生活が全員に保証されつつ、評価された人は、

それに応じた裕福な生活ができる、そんな、格差と安定した国民生活の両立した

新しい経済システムができたらいいのでは?と個人的には考えています。

能力があっても、頑張っても、危険なことをしても、新しいことを発明しても、

何をしても評価されない、認められない、格差が生まれないなら、

きっとだれも日本で努力しない、頑張らない、何も生まれないのでは?

誰もが、標準的な生活ができるための税金なら、国民みんなで負担すれば、いいんじゃないかな?

あとは、何をどこまでを標準的とするかどうか。