2023年02月08日 こころ院長ブログ
訪問診療には、個人宅もしくは個人宅に準ずる場所に伺う訪問診療と
医師の配置義務のない入居施設に訪問診療するものと2種類ある。
それぞれ、管理にあたり、在宅児医療総合管理料と施設入居時医学総合管理料と
をそれぞれ算定する。
その管理料の意味は、24時間265日、オンコールで電話もしくは往診対応する、
ということが含まれている。
そのために比較的高額の管理料がついている。
が、そこに目を付け、かつて、高額だった施設入居時医学総合管理料をめあてに
施設に訪問契約をしまくり、定期的にサラッと見に来て処方だけして帰り、
オンコール対応しない、急変時は救急車を呼ばせて知らん顔、そのでいて、
管理料はきっちり、なんて経営で、荒稼ぎした医師・業者が多数存在し、
医療費の無駄遣いとされ、管理料が大幅に減額される、という自体がだいぶ前に
起こった。
まじめにやっていた医師は、とばっちりを受けた。簡単に儲けていた医師・業者は、
一部は売り上げが激減したことで倒産したり、一部は、割のいい仕事でなくなったため、
次の楽に儲かる仕事に移っていき、一部は、やり方を変えて継続したりした。
現在の施設管理料は、決して高いとは言えない。まして、1日に同一施設で複数以上訪問すれば、
その人数に合わせて、訪問診療料が1/5近くに減額されたりする。施設診療の矛盾と勝手に名付けているが
9人以上同一日に訪問すると11人以上にしないと、逆に多く診察すればするほど、診療報酬が
減るというおかしなことが起こっている。
概ね同一日に9人訪問診療するのと11人訪問診療するのとで、ほぼ同額という矛盾。
制度の改正にあたり、現場の状況をちゃんと把握していないで、目先の問題解決を急いだ結果で
あろう。
現在でも、施設の訪問診療は、当クリニックでは個人宅の訪問と特に方針を変えることなく、
ただ、介護してくれる人が24時間いる、ということを想定した診療を行っているが、未だに、
定期訪問のみ、往診はしない、緊急対応はしない、緊急時は救急車で搬送、看取りは朝まで
そのままにしておいて、翌朝、ゆっくり看取りに行く、なんていう在宅クリニックも多く存在する。
それにより、メリットがある人、デメリットがある人、それぞれだろう。だが、患者さん、ご家族から
すれば、でメリットでしかない。
施設側としても、救急車を呼ぶ方が楽だ、という意見もあるらしい。
施設の方々と話をしても、クリニックの想いと同じ思いを持っているとは限らない。患者さんの為に
どうすればいいのか?という思いを共有できないと、うまくいかない。そこは、少しずつ、考えを
伝えて教育、共有していくしかない。
介護、医療のサービスに携わる者が、己の利益、己の手間、己のリスクの回避、などだけを中心に考え
るようになったら、なっていたら、serviceを辞めた方がいいとおもう。
施設の訪問診療は、個人宅に比べて安いし、数行ったら減算されるし、やる気でないよ、
という医療者もいるかもしれない。
施設を同じクオリテティで診るなら、手が足りないよ。となるかもしれない。
だったら、施設の訪問診療という制度止めちゃえばいいのに。
訪問診療という枠組みでやろうとするから、ちゃんとやっているところ、ちゃんとやらないところ、という
サービスの質の違いが目立ってしまう。
実際、施設の訪問診療と個人宅の訪問診療は、似ているが異なるもの。
だとしたら、止めちゃえば?
高齢者や障碍のある方の入居施設では、原則、施設配置医・責任医師を置くことを義務付ければよいのでは?
老人保健施設や特別養護老人ホームのようながっちり配置医でなくても、施設を何件も同時に担当しても
いいが、処方、月に1~4回の回診・診察・処方と急変時は、まず、ファーストコールを受けること、
本当の一刻を争う病状でない限りは、救急車は診察した医師の指示で呼ぶこと、などで、
施設の大きさにより、1施設当たりいくらいくらの報酬で契約する。
管理料は発生しない。
その方が、在宅医は、個人宅の在宅医療を必要としている患者さんに集中できる。
施設も、入居者が個々人で契約する訪問診療よりも、施設丸ごと決まった医師に相談できるので、
安心。
安易な救急要請が減り、救急隊も必要な仕事に集中できる。
むだな管理料が減り、もしかすると医療費の削減につながるかも?
今は、同一施設に複数の在宅クリニックが出入りしていることが多い。そういった無駄も排除できる。
限られた医療資源を有意義に使える。
施設には最低一人は看護師を配置したほうがいい。やはり、
何らかの在宅生活が困難であるために入居していいる方々が集まっていいる施設に、医療に明るい人が
専門科が一人もいないのは、やはりおかしいし苦しい。
どんな施設も一人は、看護師を配置すべきで、そのために必要ならば、補助金や施設の報酬の上乗せなどを
検討すべき。
などなど、いろいろ勝手に思うところがあるわけです。