2022年11月26日 こころ院長ブログ
無駄と思われることにも意味がある。
そう思うようにしている。
子供たちが熱中する、スマートフォンやYOU TUBE動画、ゲームなどなど。
興味のない私からすれば、くだらないもの、意味のないもの、無駄なもののように一見見える。感じる。
でも、人生、すべてが無駄なく意味のあるものだけだったら、それはそれでつらい。
苦しい。
無駄がある、楽しい、気楽、ストレス発散になるなど、なんでもあれば、それは意味がある?ことになる。
思えば、自分が子供の頃も、しょーもないことに熱中して、いわゆる無駄に時間を過ごしていたことは、
いっぱいある。
それがあってかなくてか、今がある。
だから、限度を超えない限りは、子供たちのすることに、あーだこーだは、言わないようにしている。
もちろん聞かれたら、正直に答える。自分の意見として。
でもそれは、それぞれの見解だから、偽る必要はない、と思う。
自分たちの時代に今の若者が楽しんでいるものが無かっただけの事。
その時はその時で、楽しいと思えること、熱中できることに、飛びついていただけの事。
大きな違いはない。
要は、其れに取りつかれたように、人生そのものをすべて浪費しないように、注意してあげればいい、
そう思う。
今日もの無い人から見たらスポーツだって、音楽だって、芸術だって、すべて無駄なものに見えるかもしれない。
なんでボールをかごに入れあっているの、何でボール蹴ってるの、ガチャガチャした音聞いてなにがいいの、
よくわかんない絵や彫刻なんで時間かけてつくってんの?ってね。