おなら考

2022年11月24日 こころ院長ブログ

小さいころから、おなら、について考えていた。

おならって、すかしの時はとても臭いし肛門の周りが熱いときがある。

逆に、爆音がするときは、量が多いわりに臭くない、肛門が熱くない気がする。

そういうものだと言われば、そうなのかもしれないけど。

その後、物理でエネルギー保存の法則を知る。

世の中のエネルギーは保存されるのか。

おならのエネルギーも保存されると仮定すると、

おならのエネルギー=熱エネルギー+音エネルギー+臭いエネルギーと過程できたなら、

すかしっぺの時に、音エネルギーを限りなくゼロにしたとき、その分のエネルギーが保存され、

熱エネルギーと音エネルギーに分配されているのでは?

と考えたりもしました。

難しそうに、さもそれっぽく考察するも、バイアスがいっぱい。

例えば、すかしの時は、肛門を閉めて音が出ないように調節している。肛門を閉めているということは、

屁の出るルートの壁が固く、狭くなっているという事。そこを屁が通過するときに、大きな摩擦が

かかり、時に発熱、熱感をかんじるのかな?とか。

音が出る大きな屁の時には、そもそも音が出るくらいのガス量がある為、臭い自体が大きな体積に対して

濃度が薄くなり、弱くなるとか。

音を出して思いっきりする場合と手加減してすかす場合では、屁の拡散範囲やスピードが違うため、臭いを

吸ったときの待機に対する濃度が違うのでは?とか。

おなら一つでも、物理学や数学を用いて、その匂いの違いの謎を考察することができる。

学校の勉強って、知っているのと知らないとでは、見て感じられる世界の幅が変わってくるでしょ。

この微妙な違いが積み重なると、日常生活において、様々な場面で損得、成功失敗の差が生まれたりする

事もあるんじゃないかな?

学校に行くことだけが人生勉強ではない。それはそう。だが、学校に行くことも人生勉強である。

前者を強調する人は、後者を軽視する傾向にある。

学校の勉強をしなくても、行かなくても、稼げるもん。それも確か。

でも、稼ぐことが人生の目標なの?それなら、好きにすればいい。

そのかわり、学校の勉強をしっかりしている人を否定することはいけない。

自分の進む道を世間に認めてほしい人は、他の人のしていることも認めなければならない。

スポーツをしようが、芸術をしようが、YOU TUBEをしようが、好きにすればいい。

けど、みんなと一緒に学校に行って勉強している、いわゆる普通の子供たちを否定すること、バカにすること、

下にみることは許されない。

子供が早くから社会に出ること、お金を稼ぐことは別に、えらいことでも、すごいことでもない。

ただ、早くから、普通の子供たちが経験することをしないで、そちらをしているだけの事。

えらいとも、すごいとも、何とも思わんよ。親が自分の想いを刷り込んでいる可能性もあるしね。

そういう個性があるだけの事。

それにつられて、ひっぱられて、普通の子供たちが、道を外さないように大人が見守ってあげる必要がある。

全員学校に通える環境から、わざわざ学校に行かないなんて、もったいない。とも思う。

学校に何時間もかけて通わなければいけない子や働かなきゃいけなくて学校に通えない子が世界中にいるのに

我が子供たちには、中学卒業までは少なくとも、通常通りの学校教育を受けるように話しています。

そこから先は、高校に行こうが働こうが、自分の好きな道を行けばいい。

ただし、自分の道を選ぶということは、そこから先は、自分で自分の責任を持つことが必要だと伝えています。

親が、自分の跡を継いでほしいとか、こういう職についてほしいとか、そういうことは、一切いっていません。

子供たち自身の人生だから。

そのかわり、成人するまでは、学生が終わるまでは、しっかりサポートするけど、それ以降は、自分で自分を

何とかするように、と話しています。