2022年11月23日 こころ院長ブログ
信賞必罰とは ( より)
賞罰を厳格に行うこと。賞すべき功績のある者には必ず賞を与え、罪を犯し、罰すべき者は必ず罰するという意味。
子供の教育などでもとても大事。
よくいう、褒めての伸ばすという教育方針も、必罰なくしては、ただの甘やかしとなる。
必罰のみでも、やはりうまくいかないだろう。ほめるべき時には褒めねば、へこたれてしまうかもしれない。
信賞、必罰、どちらかが苦手だなぁ、もしくはどちらも苦手だなぁ、という方が多いのではないだろうか。
かくいう私も、どちらかというと必罰が苦手。かもしれない。
必罰をするためには、自分は人をとがめるべき、注意すべきに足る人間なのか?という壁にぶつかる。
信賞必罰をモットーとしていたと言われるのが諸葛亮孔明。
泣いて馬謖を斬るに代表されるように、たとえ、将来有望で、目をかけていた、後継ぎ候補のような、要職を任せたいとおもっていた
であろう有能な武将でも、法にのっとり、処罰を与える。本当は、一番そうしたくなかったのが孔明だったため、処罰の際に涙を流したとか。
通常なら、ついつい減刑して、追放や格下げなどに減刑してしまいそうなところを、実行するくらいの必罰っぷり。
だからこそ、どんなに厳しくても、多くの人からの敬意と信頼、尊敬を集めたと言われる。
また、どんなに貧しくても、実績が無くても、実力があれば、信頼に足れば、起用し、昇格させる。
どんなに強くても、勇敢でも、信用に足らない将軍には、重要な任務は与えずに、あらかじめ謀反の芽を早めに刈り取れるように、策を
はっておく。魏延に対する馬岱のように。
社長としては、信賞必罰を、親としては、信賞必罰を、目指したいところだが、
その実、できているかと言われると。。。。
子供たちは、いい子だから、必罰に値することをしないため、その機会が無い。というのが正しいか。
それとも、目線が甘いから見逃しているのか?
昔は、頑固おやじ的な必罰というよりも、とにかく罰してくるような父親像なんかも日本にはいっぱいありましたね。
最近だと、ちびまるこちゃんのたまちゃんのパパみたいに、娘大好きの甘々パパなんかも多いのではないでしょうか。
どちらも極端に振っているので、いいとはいいがたいのかもしれませんね。
あくまでも良いものは良いと、ダメなものはダメと言える親でありたい。
社長としてはどうだろうか?
まだまだ、4年。きっと、ぜーんぜんダメぽだな。まだ。
成長期、真っ盛りの社長だから、仕方ない。これから、体得していけばいいか。と自分を励ますしかない。
ちなみに、よくよく誤解されるかなと思うけど、信賞必罰の必罰は、別に厳罰である必要はない。
という事は、大事なところ。
法がそうだったからしょうがないけど、馬謖・・・、切らんでも良くない?そこまでしなくても。
法律の規定の罪が重すぎたんだね、きっと。