日本とアメリカの医療の違いから感じること、考えさせられること。

2022年10月30日 こころ院長ブログ

日本ではよく、アメリカの医療を良きものとして、アメリカではこうだ、アメリカに学ぶ、的な風潮を感じる。

日本の医療とアメリカの医療を比べると、それぞれのいい部分悪い部分が見えてくる。

アメリカのいいところばかりをみて、その根本にあるものを見ない、都合のいいところだけを見て、模倣しようとすれば、きっと大きな失敗をする。アメリカは良くも悪くも、超競争社会。個人の権利と責任を持たなければならない。実力社会である。日本は、横にならえ、の状態なのに、アメリカをそのまま輸入はできないだろうに。

アメリカの医療のいいところだなぁ、感じるところは、以下のもの。

上げればきりがないが、

医師が尊敬される職業であり、一つの目指すべき職業として確立されていること。

給与が高く、日本のそれの5~10倍くらい。

病院の規模が大きくまとまっている為、患者さんが集中することで、症例数が集まり、医師のスキル水準が高い。

そこで学ぶための、働くための競争が激しく、優秀な人材があつまる。

海外からの人材も積極的に戦力として受け入れている。年間8000人の非アメリカ人医師が新規に就労しているとか・・・。

優秀な人材が集まり、お互いをリスペクトして業務を行うため、交代制でしっかり休みを取っていること。

外科医、内科医、放射線科医・・・・・、大変な仕事や能力が必要な仕事、労働環境の質が高い仕事などにランクがあり、有能な人、必要とされる人から順に就業できるため、重要な業務に優秀なやる気がある人材が集まること。

若者たちは、医師になりたくて、外科医になりたくて、内科医になりたくて、必死で勉強して、なってからも、そこの病院で働きたくて、もしくは、意中の仕事をしたくて、寝る間も惜しんで一生懸命勉強し、働くことを、自分の為として、当然、としてはたらいていること。

若者たちを育てることが医療の為に大事と、積極的に育成しているところ。

大学の学費、4~5000万、当たり前なのだとか・・・、若者は借金をしてスクールに通い、自分で働いて返すのが当たり前として、頑張っていること。

良くも悪くも命の選択が速い、明確なこと。

その反面、

助かる可能性のある命も、ズバッと切り捨ててしまうこと。

学生や若者は、学費や物価が高くて、借金をしなければならないこと。

学生のころから激しい競争社会で、そこで勝てないと、自分のなりたいものにはなれない。完全に自由主義であること。

今の日本の医師の制度の中で、急にある科とある科の給与格差が生まれて、納得ができる人とできない人の対立が起こるであろうこと。

手術が大変、外来が大変、画像診断が大変、救急対応が大変、往診が大変、当直・待機が大変・・・・・。それぞれの立場の人々が、自分たちの方が大変だと考えるだろう。それは、アメリカで手術者が技術者として高評価されるのと、日本人の感覚で、どの科が高評価されるべきだと考える、感じるかは、きっと、ちがうのだろう。

外科医、内科医、リハビリテーション科医、老年内科・緩和内科医、地域医療医。。。その立場から言うと、それぞれの科にそれぞれの想いがあり、大変さがあり、重要さがある。どこが重要で、どこが重要でないかは、あまりない。患者さんの病気や人生のstageによって、メインにで必要になる科が異なるのだから。

それよりも、医師の個人的な能力や実力、作業量、評判のようなもので、評価が上がったり下がったりするようなほうがいいのでは?難しいけど。

収入が多い反面、物価が高く、支出は大きいこと。

交代で休みをがっつりとれるということは、自分の主治医がいないことが多い、という事であり、現在の日本人の患者さん及びその家族の心情、考え方からすると、そこの意識改革でも行われない限り、日本には、なじまないなぁ、と思う。いつもの先生がいい、不安だ・・・・。

日本の医療は、フリーアクセスができる。だれでも好きなところに受診できる。すぐに診てもらえる。

アメリカの家庭医は、実は、医師のランクの中で最低ラインなのだとか。もちろん、家庭医になりたいとなる人もいるだろう。だが、外科医になれなかった、放射線科医になれなかった、競争敗れた人がなるポストでもあるのだそうだ。

だから、日本の今の風潮として、かかりつけ医を欧米の真似をして、制度化して。。。という方向自体、まねる対象のかかりつけ医としての家庭医、プライマリケア医、地域医療医が、現在、日本で脚光を浴び始めている家庭医や地域医療医とは、根本的に違うものだという認識をしないと、大きな間違いが起こりかねない。

アメリカの家庭医 = 日本の家庭医ではないようだ。

アメリカの家庭医は、ちょこちょこっと診察して、専門の病院に紹介する的なことが多そうで、日本の地域医療、家庭医は、自分たちで、できる限り対応し、必要時のみ専門病院にコンサルとするという、仕事の内容もニュアンスが全然違う。

日本は、クリニックから中小病院から、数が多い。むしろ、大病院が少ない。それにより、各地でばらばらと治療が行われるため、アクセスがしやすく、選択もできるが、症例が集まらずに、人材が集まらずに、ここの組織での負担や仕事が多くなったり、ひとっでが不足していたり、スキルが向上しづらかったり、若手が育ちにくかったり、先進医療が進みにくかったりする。巨大な病院でないと、最先端技術の早期導入や育成、研究なども進まない。海外からの受け入れもしづらい、が、巨大な病院に集中すると、そこにアクセスするのが大変になる。近場でひょいとフリーアクセスはできなくなる。

今の日本の風潮で、アメリカの学生や若者みたいに、自分の為だからと、高額な借金をしてまで医学部に通う、借金を返しながら、自分の為だからと死ぬほど働いてスキルアップする、そんなことができるだろうか?

17時には家に帰さないといけないような研修制度。過労死の問題もあるけど、長時間働かされる、大変な仕事をさせられるのではなく、自分の意思でするのかどうか、そこが大きく違う。それだけの目的意識と自分の人生を自分で生きる、それが、我々世代やZ世代(この呼び方はあまり好きではないけど)にどれほどあるだろうか。

日本の医師たちの想いと、アメリカ人のトップを走る人たちと、どれほどの差があるだろうか?もちろんどちらの国にも良し悪しがある。が、日本の医師たちの中に、単純に、楽をしたいな、儲かりたいな、という気持ちがないだろうか?そこがあると、医療の質が下がってしまう。

儲かる為には、高額な報酬をもらうためには、医師の評価をもう一度しっかりしないと。お医者様に戻る必要はない。が、今の時代、医師は、どちらかというと身分が低い感じ。サービス業で、患者様=お客様=神様、と考える人もいる。そうではなく、病気を診る、治療する職人としての高い評価を受けるべき存在だと思う。それに対するしっかりした報酬を与えるべきで、休みがしっかりとれるようなマンパワーをそろえること、そこに必要な経費が掛かるなら、診療報酬をあげるしかない。

アメリカの超競争社会を日本医取り入れる覚悟はあるのかな?敗者や弱者に救いの手を差し伸べる、今までの日本の形を壊す覚悟があるのかな?the 資本主義に日本はなりきれるのかな?高校までは無償化はいいとして、大学からは、本人が借金して通えばいいでしょって、言えるかな?奨学金もらって、返すのが大変って、返さなくてもいい奨学金が欲しいなんて以前、メディアで見たけど、自分の為に投資するのに、返すお金を借りるだけのやる気と根性が、アメリカ人のように持てるのかな?そのくらいないと、アメリカに勝てないよ。

自分に投資するために、寝る間も惜しんで働くだけの気持ちが、今の日本人にあるのかな?良くも悪くも働き無視だったバブル期の日本人、団塊の世代の人たちのような清明エネルギーがあるのかな?

日本は、大学病院を含め、医師たちの給与が安い。労働に見合った給与が出ていない。開業医や開業クリニックで就労している医師の給与は高く(それでもアメリカの何分の一かであるが)、勤務医の給与がひくい。半分から2/3くらいだろうか。

開業医が儲かる、という事ではなく、開業医は、比較的会社の利益を給与に反映させているという事。病院の売り上げの中で、医師の報酬に配分するべき給与を病院が配分せずに、別のことにその資金を回しているという事ではないだろうか。アメリカはその点、稼ぎ頭には、その分、多く給与を渡しているのだろう。

診療報酬も医師の仕事に対して、少ない、そのため、クリニック・病院の利益率が高くない。医療費削減の為に診療報酬を低くしていくからだ。アメリカでは、医療費の自己負担額が大きい。そのため、国にかかる医療費の負担額が、日本よりもインパクトが少ないのかもしれない。それは、ひいては、お金のない人は、病院にかかりにくいということも起こりうる、されでも医療が簡単に受けられる日本のいいところの裏側でもある。

優秀な医師の冷遇については、他の分野の技術者のように、近隣諸国に人材が流れて、国内空洞化を招く恐れもある。

日本の医療が、日本人が、欧米人に劣っていることは無い。むしろ、優れているとさえ思う。が、その働く環境から、劣ってしまうところが出てくるのかもしれない。

アメリカンドリーム、というような、大成功、セレブのようになる。豪邸に住む。働かないでも遊んで暮らせるような財を成す。そんなことに価値観を置く必要はない。富という概念から、解放されたなら、人は、とても幸せに暮らせる。問題は、何をしたいのか、何をすべきなのか、そこが見えるかどうか。そこが見えて、そこに向けて働ける、活動できるようになると、日々の仕事や生活は、見える世界が変わって、毎日楽しくて仕方なくなる。そうなれば、もう人生の勝ち組。お金のあるなし、そんなことは関係なくなる。人生楽しめれば、いい。お金があっても、人生が楽しめなければ意味が無い。遊びたい、旅行したい、スポーツしたい、色々したいことがあるのはいい。が、その中で、日々の仕事がその楽しみと双肩をなす以上になれれば、ただただ毎日が楽しくなる。仕事にそれほどのやりがいと意義を見出せるかで、職業人としての成功度合いが問われるのではないかな?

日本、日本独自で、日本の国民性や風土に合った、日本医療を模索して、形成すべきじゃないかな。

正解なんて、分からない。

私は、私のできる範囲で、まず、自分の会社で、今後の社会はどうなっていくべきかを実証していくつもりです。今までのように、儲かっている会社で、組織のトップ、会社の社長が、高級外車を乗り回す、自家用ジェットで飛び回る、ヘリで移動する、豪邸に住む、そういった、形にするのではなく、ある程度の収入を得るけれども、組織全体で、組織の構成スタッフ全体で、豊かな暮らしができるように利益を還元したり、働きやすい労働条件をととのえたり、マンパワーをそろえたりして、地域医療を担いながら、身体的・精神的負担がかからないようにできないかを模索していくつもりです。

成功 = 高収入、資産形成、不労所得

というようなマインドから脱却した今、目指すところは、より多数の幸福を作ること。

なんだか、宗教染みてきたけど。

誰かを苦しめることで得る自分の幸福、優越、富など、本当の幸福ではない。