2022年09月19日 こころ院長ブログ
先週も研修・講習。
今週も研修・講習。
政府は、働き方改革、医師にまで働き方改革、とみ右声のいいことばっかり言うが、その実、毎年、いくつもの研修、講習を受け続けなさい、この研修を受けないとこれは算定できません、何年以降はこの講習を受講していないと減点になります・この薬は処方できません・・・・・そんなんばっかりどんどん作ってくる。
オンコール待機しているときも、研修・講習。場合によっては、ちょっと中抜けして往診にいったり。
一般企業や学校の先生の残業過剰、過労などが取りざたされるが、相変わらず医師の過労、超過勤務は全然減らない、むしろ増えるか。相変わらず無視。大きな病院で、当直の翌日は日勤は午前で終了もしくはなしで帰っていいよ、なんて事がちょくちょく耳にするくらい。
結局、学会やら研修やら、在宅ワークやら。本当に休めている医師はどれほどいるのかな?
医師と看護師は、いつまでたっても医療従事者という誇りと想いにおんぶにだっこ。働く人の善意で成り立つ職業。
もしも本当に医師と看護師を過労から解放したいと思うなら、雇用を今の1.5倍くらいはしないとダメじゃないかな?
だとしたら、病院関連からの税金を取らないとか、医療費のレセプト算定の金額をかなり増額する、つまり医療費をがっつり上げて病院の売り上げをあげてあげないと、今の状態でかつかつの病院経営の状態で、どこもマンパワーに経費を増やせない。マンパワーが増えないなら、労働時間を削ることは難しい。マンパワーを増やせないのなら、逆にサービスを減らすしかなくなる。
サービスを減らす?とは、救急の受け入れを、在宅の24時間365日管理を辞めるなど、今まで享受していたすばらしい日本の医療体制のサービスを弱体化することになる。
便利な夜間救急体制・センターや往診体制のようなサービスをも登場してきているが、結局のところ、そこには、大きな人件費と医療費がかかっている。ましてや、そこの人材は、もともとは他の病院で勤務している医師がバイトや非常勤で契約して入っているなら、どんなに正規雇用の病院で過労を回避しようとしても、結局人手が必要で、医師本人の働き体位、お金を稼ぎたい、人のために尽くしたいという思いがあったとしても、別のところで非常勤をしたら、その日と本人は結局、過労となってしまう。
その実、一か所の病院でどんなに勤務の条件を整えても、日本全体で、医師の配置が偏っていたりで、待機・当直・夜間対応などの分野では、必ず人材が不足しているので、そこでの人材の獲得のための募集が多く、当然、高額な報酬もあり、結局休みをそこの労働に充ててしまう事になる人が少なからず出てくる。
一か所である程度の労働だからそれでいいの?複数の箇所でまとめたら、超ブラック企業並みの労働時間になってもいいの?本人が望んでいるならいいの?本人が働きたいと思っているなら、正規雇用しているところで長い時間働いてもいいの?ダブルワーク、トリプルワークするくらいなら、一か所で長い時間の方が精神的身体的な負担は少ないこともあるだろう。
過労を強制されるのはよくない。が、働きたい、と思っている人はどうすればいいの?働いて稼ぎたいという人の権利はどうやって担保するの?
なんでもかんでも欧米の考え方は正しくはない。そちらに合わせる必要はない。
日本は日本で、独自の路線を提唱していけばいい。
いっぱい働いていっぱい稼ぎたい、仕事が楽しくていっぱいしたい、仕事はほどほどで給料はほどほどで余暇を楽しみたい、色々な人がいていいじゃない。それが、平等公平な社会なんじゃない?働く時間、働く能力、働きの出来、色々な個性があって、その個性に対して給料が変わる。それっていいんじゃない?
みんな同じ時間働く、みんな同じ給料をもらう、それが平等ではない。それでは、ロボットと同じ。むしろ個性が無い。多様性な社会ではないのでは?
過労、過労死を認めているわけではない。過労かどうかは本人次第。6時間でも過労、無理と思う人はいる。10時間働いても、まだまだと思う人もいる。人それぞれ。残業しちゃダメ。全員ダメ、と言われると、そのしわ寄せが、8時間労働の中に現れ、いろいろな余計な面倒なことやトラブル、ミス、などなどが発生して困っちゃう人も中にはいる。
みんながみんな、仕事が嫌なものだとは思っていない。
なかまと仕事をすることでの楽しみ、充実感、幸福感があり、仕事自体が身体・精神のリラクゼーションになっている人も少なからずいる。自分の存在意義を確認できる人もいる。そういった人は残業時間を減らすということに逆にプレッシャーや罪悪感を感じさせられ、楽しいいごとの楽しみを減らされている、苦痛を感じている、むしろ残業減らしハラスメントのような状況に陥っている可能性があるということも認識すべきである。
誰かの真実が、他人の真実とは必ずしも限らない、という事。
残業するもしないも、個人の自由。残業しなさい、残業しちゃダメ、大きな力からの強制は、どちらも同じ意味を持つ。
過労かどうかは本人が決めること。
本人の自由意思で、残業しますよ、しませんよ、したくないです、したいです、それを雇用者と契約して実行出来たら、それはそれは、労働環境が一歩、明るい方に前進するのではないだろうか?