2022年09月16日 こころ院長ブログ
犯罪のトリックのように真実は、いつもひとつ!ではない。
通常、日常の物事や考え方は、真実と呼べるものがあるだろうか。
一つだろうか。
否。
同じ事象、考え方、とらえ方も、その、タイミング、時期、視点、目的、意識、立場、どこまでの過去を考慮しているか、どこまでの未来を見越しているか、どこまでのパターンを見据えているか、誰の為を考えているのか、誰の為に考えているのか・・・・・。
それによって、仮に真実と呼ぶなら、いくつもの真実が生まれる。
だからこそ、戦争が起こってしまう。
自分の国、自分の主義、自分の立場からは、この土地は俺たちのものだから俺たちの国であるべきが。自分の土地を奪われているのだから力ずくででも取り戻すことは正義だ。
あの島は、もともと?俺たちの国のものだから、今、他の国が国土としているが、侵略して当たり前だ。
あの国は、国じゃない、うちの国の一部だ、だから、違うというやつは薙ぎ払ってもこちらが正義だ。
そもそも地球は俺たちのものだ。他の国のやつなんて、薙ぎ払っても当然だ。
俺たちが正義だ・・・。
戦争は、概ね、正義と正義のぶつかり合い。
何方も、最初から悪役となろうとは思っていないのかもしれない。
宗教や思想的な部分はナーバスなのであまり触れないが、自分と考えが違うものは、間違っている、かわいそうだ、正さなければならないと過去に他の宗教を信じる民を改宗しなければ、滅亡に追いやろうとするよな戦も数多く行われている。それもまた正義のものとに行われていたのだろう。
魔女狩り。。。
そんなことも魔女は悪いもの、だから処刑する、正義だ、という偏った考え方なのかもしれない。
資本主義と社会主義の争い。何方が正義でもない。
それぞれの国が好きな方を選べばいい。
だが、其のそれぞれの正義のもとに、苦しめられる国や人々がいるのは、悲しいことだね。
いつか、平和な世界が来るといいな。