無宗教は悪いことではない

2022年08月29日 こころ院長ブログ

たまたま、SNSで日本人が無宗教であることの記事を見かけた。

無宗教、という日本人は比較的多いのでは?

別に悪いことじゃない。

宗教を選択しなければならない、そんな必要はない。

海外で無宗教であることを伝えると、マークされる、やばいやつだとされる、注意しなさいという事だそうだ。

なんで?

多様性の社会で、宗教を選ばない自由、何で認めないんだ?

そんなん、海外の連中が悪い、と声をあげていいんじゃないかな?

そこまで、海外の人たちのことを忖度することは無い。

そうやって、海外の文化に迎合することが、国際化ではない。

自国の、自分の民族の文化や習慣を理解してもらう事、受け入れてもらうことが、国際交流だと思う。

そうやって、日本人らしさを海外文化に迎合することで失っていく必要はない。

どうやら、無宗教=無神論者=神の存在を否定する=やばいやつ、という理論と考え方のようですが、そんなん、勝手ない言い分でしょ。

日本人の無宗教≠無神論である。

日本は八百万の神の思想が根強い。

トイレにも神様がいる。物にも、自然にも、万物に神が宿る。それを信じている。だけども、仏教・キリスト教・ヒンズー教・イスラム教・その他の宗教の神を選んで信仰しているわけではない。それぞれの宗教の神様を否定しているわけではない。その存在を疑わなくても、どれか一人の神を信仰しているわけではない。そういった意味での無宗教なのである。

無宗教=特定の一つの宗教を信仰していない、というだけで、神様の存在は否定していない。

無宗教を無神論者である、英訳してしまうから、誤解が生じる。

日本の無宗教に該当する英単語を選ぶか、作っていくべきである。

ありもしない、誤解による悪い評価や警戒を受ける必要性はない。

そのために、自分たちの習慣を変える必要もないし、嘘で、宗教を信じていると伝える必要もない。

海外留学や海外への旅行をよく推進する人がいる。広い世界を見て、多くの民族を知り、世界を知ることは大事。だが、結構多くの人が、海外ではこうだから、日本もこうしなければならない、日本は遅れている、日本はダメだと考えがちである。そんな必要はない。日本と海外の違いを認識して、日本らしさを海外に主張して、受け入れてもらうべきである。海外のマナーや常識を、日本の常識にする必要なんてない。パスタを箸で食べて何が悪い。だって食べやすいんだもの。そばは、音を立ててすするもんだしょ。ドレスコード?必要なところもあるけど、別に無理してそんなんしなくてもいい場所なら、いいでしょなしでも。

日本は、とても素晴らしい国だったと思う。だからこそ、諸外国の人々にも行ってみたい国上位に考えられている。日本は日本独自の考え方や習慣を維持して、対外的に堂々とアピールする。それが最も有効な環境立国の手段なのでは?