安楽死について

2022年06月26日 こころ院長ブログ

安楽死について・・・は、以前からずっと議論されている内容。

答えなんかなさそう。

尊厳死ともまた違う。

安楽死は、明らかに、人の手で命を終わらせること。

医師の決定で。

もちろん、死以外に救われる道が無い場合もある。

だが、適切に安楽死が運用されるか?

否。

少なくとも、今の医療では、安楽死は到底まだ早いと思う。個人的には。

いろいろな、観点から考えられるが、例えば、私がよくここで語るリハビリについて、在宅医療について。一見、安楽死とは関係なさそうですが、要は、今の医療者が、どこまで真剣にやっているの?というところが、根っこは同じだと思う。

在宅医療で、訪問リハビリが必要、介入すればもっと楽になるのに、動けるのに、楽しめるのに、食べられるのに・・・、でも、やっていない、ので、どんどん衰えて、そのまま、最期の時を迎えてしまうなんて話を良く見聞きする。リハビリすべきところをマッサージやカイロプラクティックに依存して、よくできるところができなくなって衰えてしまったり。末期がんでも、よくならないのに、抗がん剤を延々続けて、副作用で苦しみながら死期を早めてしまう場合や、逆に手術や抗がん剤をしたほうがいいのに、勧められなかったり、しない方がいいと言われて、治療の機会を逃してしまったり、民間療法に手を出したり。通院すること自体が困難な状況でも訪問診療につなげずに、どんどん衰弱させてしまったり。なんでもかんでも専門医、専門性を重視しすぎて、もしかしたら安楽死自体も安楽死専門医を持っていないと認定できませんなんてことにもなるかもしれない。でも、専門医だからよいお医者さんとは限らない。例を挙げればきりがない。

結局、患者さん一人一人と真摯にっ向き合って、あの手この手をすべて尽くしたけれども、もうこれ以上楽にはしてあげられないし、本人も心から死を望んでいるときにのみ安楽死が適応される、そんな医療業界になっていないと、まだ、薬やリハビリ、対話なんか、いくらでも緩和できる苦しみを、その努力もしないで、本人が希望したから安易に安楽死が適応される例が続発しないか心配である。

安楽死がいいか悪いかの話はしていない。適応されるべき時に適応されて、適応すべき時ではない、まだほかにやるべきことがあるときに、適応されてしまうのではないか、という懸念をしているという事。

多くの人が医師に望むように、ほとんどの医師が聖人君子のようであるならば、安楽死は、一つの緩和の選択肢となりうるかもしれないが、どうも、聖人君子のような医師がほとんどであるとは、個人的には思えない。

なので、安楽死はまだ早い、と個人の感想です。