2022年03月11日 こころ院長ブログ
男性の差別について、あまりメディアでは取り上げないし、コメンテーターも、そんなん言ってたら、叩かれたり炎上するし、人気も出ないから、誰も言わない。
けど、同じ男性としては、いつも、とくにおじさんって、けなされ、嫌われ、いじられ、ハラスメントの温床のように言われてかわいそうだなぁと、一おじさんとして、想ったりしています。
戦時には、男性差別ともいうべき状態は日常化する。
何を言っているかというと、ウクライナでは、女性兵士が2割くらいいると報道されていました。かなり多い。ほとんどの場合、兵士は男性。兵役も男性。一部の国では女性にも兵役を課す、という話も聞きましたが、妊娠・出産などもあり、減免されることも考慮されるだろう。
一部の人を除いて、誰も戦争なんかしたくない、行きたくない。命を懸けて、戦いたくなんかない。それでも、成人男性というだけで、兵役の義務があったり、無理やり戦地に行かされる、残される。家族と離れ離れにされて、人知れず亡くなってしまう事も。
戦っている相手の人に対して、場合によっては特に恨みや憎しみがあるわけでもないのに、殺しあわなければならない。やらなければやられるかもしれない。相手の国の兵士も、もしかしたら、戦いたくて戦っているのではないのかもしれない。何のためにたたかわされているのかも、正しい情報が来ていないかもしれない。
敗戦国の国民は、生き残った男性や多くの女性・子供・高齢者など、敗戦後の境遇・生活は、それはひどいことが多いだろう。ただ、そこには、すでに兵士となった男性の多くはいない、すでに亡くなっている、重傷を負っていることが多いだろう。
男性だからと言って、戦わなければならない、命を懸けなければならない、という風潮の歴史は長くあると思う。そういった差別も、あまり気にされていないけどずっとあるんじゃないの、ということを気にかけていたいと個人的に思う。
結局、何が大事なのかというと、差別はいらない、が、区別はあってもいい。遺伝的に筋力・体力に恵まれている、男性が、女性や子供・高齢者の盾となり守るのは、当たり前だと思う。ただ、それは自主性によるもの。何より、男性だろうと女性だろうと、戦わなくてもいいい、戦争しなくてもいい、殺しあわなくてもいい、平和な世界になってほしい。戦う必要が無ければ、命を懸ける必要が無ければ、そもそも誰が戦うべきだ、という差別の存在意義がなくなるから。そもそも、兵士なんて必要が無い、争いが無い平和な世の中になればいいのに。
ほとんどの国で、おそらく、男の子は、自分より弱い人を守るんだよと親に教わっているのではないだろうか。なので、勇気ある人は、ここぞというときにはやはり自主的に、自分が盾となり、立ち上がるのだろう。そういういざという時が、世の中から、少しでも減ってくれればいいなと思います。