2021年12月02日 こころ院長ブログ
もちろん持論です。エビデンスはない。それをふまえて、外科医に向いている人とは。昔から、運動部⇒外科医、文科系⇒内科医、というイメージはざっくり医学生の間でもありました。実際そのパターンは多いです。外科はチーム医療、内科は単独医療であることが多いのも要因かもしれません。内科のなかでも循環器科などは、カテーテル治療を中心に、外科に近い環境にあるかもしれません。怪我の縫合や処置は、やはり外科>内科の傾向にあります。もともとの素因と普段からやり慣れているという状況もあるのでしょう。外科医の中でも手術のうまさにはかなりの個人差があります。どの先生に手術を受けても概ね標準レベルの治療を受けられるのが日本の医療水準の高さだと思います。その中でもずば抜けて手術がうまい神の手とよばれる先生方や世間では知られていないが医療者の間では知られている名医などの先生方がおられます。同期一つとっても、こいつはうまいな、いざとなったら自分の手術をしてもらいたいと思える人もいたりします。その差は、何なのか。精神論と身体論にざっくり分かれます。精神論は、もちろん、どれだけ患者さんのことを思っているのか、手術するにあたり、疾病にどれほどの知識と経験を積んでいるのか、手術にあたりしっかりと準備が毎回とれているのか、診断や一つ一つの手技が丁寧か、慎重か、アクシデントに対する準備が整っているのか、頭の柔軟性があるのかどうか、丁寧な説明ができるか、など色々なことが関わってきます。外科医は、意外と繊細なんです。 身体論については、純粋な手術技術のうまさ。手技が苦手な内科の先生や手術が雑な外科医と手術が上手な外科医の違いはどこか?それは、上の精神論の部分の差もありますが、神経なのかな?と思います。運動神経・感覚神経、認知機能、体現能力など。具体的に言うと、主義が下手な人は、道具を使っています。その中でのうまい下手には道具の使い方がうまい人とさらに下手な人がいるということです。組織を目で見て、主義を行っています。手技が上手な外科医は、道具を使っているという感覚がないのかもしれない。道具が自身の体の一部になる。持針器をもって縫合するとき、感覚神経の先端は縫合針の先端にある、剪刀を使って剥離、切断しているときは、その切っ先に神経がある。なので針先、切っ先から、組織の硬さ、感触、その祖危機が何の組織なのか、正常なのか異常なのかがわかります。大げさに言うと目で見なくてもある程度安全に手技を行えます。より確実に、正確に行うために目でも確認している、そんな感じでしょうか。この差は、かなり大きいと思います。運動部で、道具やボール相手に感覚神経、運動神経を使う訓練をずっとしてきた運動部との相性がよさそうですね。ただ、文科系でも、美術部や音楽系なども相性がよさそうですね。そして、目で見て、頭で描いたものをその通りに実行する体現力に優れています。イメージしたものをそのまま体現できないと、結局失敗します。そのためなのか、手術が上手な外科医は、絵が上手なことが多い気がします。目で見たり、頭で描いている人体の映像を筆を通して紙に体現する能力にもたけているのでしょうか。ただ、若いころに不器用だったからといって、外科医に向かないわけではないと思います。訓練次第で、能力は上がるし、名医の真似をしないで、自分の能力にあった安全で正確な方法を身につければいい。これからは、きっとロボット手術やAIなどを使った手術も増えていくのでしょう。そうなったときには、また別な適性が必要になってくるかもしれませんね。