2021年02月01日 こころ院長ブログ
受験勉強、学校の勉強を面白いもの、必要なものと認識する。そうすれば、少しやる気が出て、覚えやすくなります。漢字は、知っていたほうがいい、読めたほうがいい。社会に出たら書けるよりも読めたほうがいい。算数・数学は、それを知ることで、どういったことができるのか、得をするのか損をするのか、その計算式が何に使われているのかを知ると面白い。歴史・地理は、人と国を知ることで、見える風景、聞こえる話の内容、考え方が変わり、見識が広くなる。単純に、クイズ番組の答えがわかるようになる。理科を知れば、自然のこと、機械のこと、医学のこと、色々なことがわかる。勉強を勉強として楽しめるならそれは良し、楽しめないのは、やらされているから、やりたくない事、つまらないことだから。興味がわくような、必要な脱線をしていたら、意外と近道だったりする。私は、教科書や参考書にある、”coffee break”のような雑学コーナーが好きでした。日常生活での創意工夫や知恵の基盤は、学校の勉強や受験勉強にあったりすることもしばしば。日常診療の基盤にも、国家試験の試験勉強の内容があったりもします。むかしの頭のいい人が考え、発見した学問を自力で発見するのは難しすぎる。簡単に教科書で学んでしまった方が得。知識を知っているかいないかだけで、簡単に解決するようなことで、挫折したり、悩んだり、立ち往生したりしていることも、きっといっぱいある。しばしば、学校の勉強や受験勉強は、社会に出たら何の役にも立たない、むしろスポーツや遊び、友達の方が大事、なんてことを声を大にして言う大人たちをよく見ます。そんなことはない。どちらも大事。どっちかだけをやっていたらいい、なんてことはない。両方、がっつり、したらいい。子供のエネルギーは無限大、学ぶための脳のスペースも無限に近い、食べて寝たら、だいたい元気は回復するんだから。