劉備玄徳のもう一声あれば、蜀が勝っていたかもしれない?

2020年11月30日 こころ院長ブログ

劉備玄徳といえば、三國志のメインキャストの一人。徳の高い人で、多くの賢人・猛者がこぞって忠誠を誓い、中原の覇者 曹操孟徳と同等の国力を蜀の地に築いた名君です。死を目前にしたとき、天下の天才名軍師 諸葛亮孔明に、”もし、私の息子が助けるに値する者ならばこれを助けよ。助けるに値せなんだら、君が代わりにこれを執れ”といい、これに感銘を受けた孔明は”これまで通り私は股肱の臣として忠義を尽くし、死をもって陛下の志の実現させます”と語り、我が子たちに”私が死んだ後は、お前たち兄弟は孔明を父と思って仕えよ”と話したそうです。孔明に絶大の信頼を置き、国とわが子を任せたという、主従の理想的な逸話として語り継がれていますね。王にそこまで言われれば、臣下としては、これ以上ないくらい喜ばしいことでしょう。しかし、こう言われては、孔明が蜀王になることは絶対にありません。魏・呉との三國対決を制して、蜀の民を守るためには、中華を統一するには、孔明が蜀王になったほうがよい、おそらく、この時点でもすでに劉禅阿斗は、それほどの才覚がないことは、ある程度分かっていたはず。最後に親としての、我が子に対する思いが、継がせたいという想いが、出てしまったのかなと。ここをこらえて、もう一声、”蜀は、孔明に任せる、君が王となり、中華を統一して、中華の民を救ってくれ”的なことを言ってあげれば、孔明は、蜀王となり、全力で曹操・̪司馬懿と対決できたのかもしれませんね。いわずとも、孔明が、劉備の一族をないがしろにするわけがない。