昭和差別はよくない・・・

2020年09月08日 こころ院長ブログ

岸田さんのSNSが、時代錯誤、差別的と批判され、メディアでも取り上げられていました。何が?・・・。岸田さんの世代は、昭和世代、昭和では、自分の親の世代を見ても、あんな感じの風景は当たり前でしたので、時代錯誤ではないですね。若い世代や欧米の自由・平等・性差別撤廃などをすすめるなら、おじさんたち、男性の逆差別も批判しないと。いわゆる古い日本文化的な部分も、それがいいと思う人たちの自由は尊重しないと。昔ながらの根性論や縦社会、働くことへの情熱、バイタリティ、人情、不器用さ、そういった風習は、私は大好きです。夫婦のことなら、何らかの被害がないのなら、外野が、やいのやいのいう事ではない。夫のために尽くしたい、という女性がいるなら、それはそれでその人の自由では?ましてや、すぐにまた仕事に取り掛かるときに妻が来てくれて、晩御飯を短時間で食べるときにスーツで食事したという話・・・、どこかおかしなところでも?と思います。

 女性の人権問題についてのメディアのコメンテーターやタレントなども、女性差別は当然よくない、改善すべきです。でも、しばしば、男性を逆に蔑視する発言を耳にします。逆振りは良くない。男性は、それらを比較的ネタのような感じで受け止めたり、つっこみ返したりして騒ぎ立てられることは少なく、SNSでもそれほど炎上しませんが、人権問題を語る人が、反対側の立場の人を差別、蔑視するような考えや態度では、到底、平等や人権問題は、解決しないのでは・・・といつも感じます。テレビで、薄毛や体型、においなど容姿についてのディスリなどは、毎日のように耳にします。これは、当事者が嫌だと思えば、いわゆるセクハラに当たりますよね。でも、おじさんたちは、そういったことを寛容に許しているわけですね。差別と区別、昔からよく言われること。違いがあるから、魅力があるのかもしれない。すべてをいわゆる”平等”にしなくてもいい。お互いに得意分野と不得意分野があるはず。協力しあえる関係が、平等の行きつくところなのかな、と漠然と思います。権利のあるところには、義務・責任が伴う。権利を主張するときには、そこのところの理解が必要ですね。

 メディアとしては、極論を言うほうがわかりやすいし、論争になって面白い、と考えるのかもしれませんが、いつもそういったコメンテーターの話を聞いて、私はどちらかというと不快な気持ちになります。結局、どちらかが言い負かそうとする、折れさせようとする形での着地になっていくため、なかなかどちらも納得する着地に向かわない。お互いの立場を理解して尊重していく、共に生きるという態度を示さないと。

 海外での人権やその他の主張の訴えも、声を上げるのは素晴らしいが、集まってデモみたいになるとなぜか、破壊行動や暴力、略奪に発展していく。そうなるともう、声を上げた訴えの崇高さは、感じられなくなってしまう。心から応援できなくなってしまう。半日運動の日本車破壊や店舗破壊、略奪・・・、その所有者は、日本人ではなく同じ国民だったりするのに・・・、行動の理解に苦しみます。

 この世から、少しでも争いごとがなくなっていけばいいなと願います。