2020年07月26日 こころ院長ブログ
よくいう、学歴、学校の勉強が全てではない、という言葉がテレビやネット、マスコミで用いられます。テレビでは特に、東大生をターゲットに、彼らの不得意な部分をクローズアップして笑いにしたり、東大生が何かに負けることを番組とすることが一時期多かった気がします。私は、そういうのは好まない。勉強ができなくても、ほかのことができればいい、個性が大事だ、それは正しい。でも、勉強ができることも個性。勉強がある程度できた上で、個性を磨いてもいい。学校の勉強なんて、社会では役に立たない、そんな使い古された言葉もあります。医師の仕事をしていて感じることは、学校の勉強は社会で役に立つ、ということ。生物はもちろん、数学・化学・物理を知れば、視点が変わる、理解が変わる、いろいろなことを思いつき、その工夫が生活や仕事に役に立つ、歴史を知れば、いろいろなことに興味が湧きより深く知りたくなる、過去の偉人の功績の上に活動できる、誰かと同様な方法を利用して簡単に成功できる、だれかがした同じ過ちを繰り返さないように学習できる、なんてこともあるかも。知っているか知らないかの違いだけで、見落としていたり、遠回りしたり、損したり、失敗したり、そんなことが起こっているかも知れません。学校の勉強は、詰め込み勉強すればいいというものではなく、生活に無意識にでも利用できるように身につけるべきもの。役に立たないと思っているのは、無意識に使っていて、気がついていないだけ、なのではないでしょうか。少なくとも、日本では、中学までは義務教育。そこまでの知識は、学校に行かなくても、行けなくても、身につけておけるなら、つけておいたほうがいいと思います。もちろん、運動も、DIYも、絵を描く、音楽を奏でる、動物と触れあう、料理をする、掃除をする、なんでも何かの役には立つ時がくるかもしれない。