2026年04月30日 こころ院長ブログ
無知であること、それだけでは罪にはならない。
だが、無知であるがゆえに罪を作ることはある。
無駄に、無用に世の中を騒がすこともある。
その場合、罪作りとなる。
例えば、仮にであるが、ボタンがなんで、男女で逆についているの?
男用の方がボタンが留めやすい、女性の方が格好いい、
いろいろな意見があるだろう。
それに対して、男女不平等だ、差別だ、と騒ぎ立てることは、
男女間の軋轢を無用に広げようとする行動である。
知れば、納得する理由がる。
その理由を知ったうえで、今後どうするか、どうしていけばいいかを検討する、
話し合うことが人の社会というもの。
この場合、右利きが大半だから、男性のボタンは今の形になった、ということ。
この時点で、左利き差別だと騒ぐのはナンセンス。
商用だから、大多数に合わせるのは経済的には正しい。
少数派に対しては、別に対応していけばいい。
大量生産、受注には仕方ない。
では、女性のボタンはと言えば、これは、子供と学習している最中に参考書で
得た知識だが、ボタンは過去には、高貴な人しか使えない代物で、
高貴な女性は自分で着替えはしなかった。服は、召使やメイドたちが着せてくれるものであり、
ボタンを留めるのも外すのも、召使やメイドだった。
つまり、召使やメイドたちも右利きが多く、その人たちが留め、外ししやすいように
男性と逆向きについている、という合理的なもであったとのこと。
だから、男性、女性の服のボタンが逆なのは、当たり前だった。
では、今はどうかというと、服は自分で着るもの、脱ぐものになっている。
また、左利きの利き手矯正なんかもしなくなった。
つまり、ボタンは、自分が付けやすい方にすればいい、見た目的に気に入った方にすればいい、
という結論に達する。
男性ものこう、女性ものはこう、なんて固定観念に縛られて、他人のファッションに口出しするような
人は、頭ガッチガチだね。
もっと気楽にいこうよ。
何でも差別だ何だと騒ぐのは、分断をあおるような罪作りな行動。
本当に差別なのか、それとも単なる区別なのか、古い慣習が残っているだけなのか、
などなど、じっくり考えて吟味して、それでも差別だということなら、声を上げるといい。