金配り、給付することを主張する政治家、政党は信じられない

2024年11月17日 こころ院長ブログ

金配り、給付することを主張する政治家、政党は信じられない。

その場しのぎ的な、人気取り的な、愚民は、金を配っておけば喜ぶだろう、

なんて思想が見え隠れしているのでは?

と感じてしまう。

金を給付するのは、本当に一時的な効果でしかない。

それも、数万円程度もらったってすぐにどっかに行ってしまう。

かといって、高額をみんなに配る予算もないし。

そうなると、いろいろな給付制限を付けて、もらえる人もらえない人の

不公平感が出てくる。

とくに、ぎりぎりもらえない人の絶望感、怒りなどは、いかばかりか?

そもそも、ガソリン税しかり、所得税しかり、消費税しかり、、、。

税をいっぱいとっておいて、特別時限措置として還元給付したり、

とくにガソリンの卸系の会社に給付したりするのほんと意味わからない。

というか、そういう会社への癒着や人気取り、利益あっせんの様な

意味合いと、税金を下げるつもりがない、という思惑が見える。

とくに後者。

役所や政治関係の予算でよくあるやつ。

一度、獲得した予算枠は、特に必要性や急ぐことでなくても、使い切らないと

次の予算が減らされるから、使い切らないと。

なので、とりあえず、工事しとくか、建設しとくか、修繕しとくか、

みたいな公共事業をしたりする。

税金も、消費税、ガソリン税、暫定税率、など、一度下げてしまえば、もう、

ずっと税金を下げたままになってしまう。

次にあげるときにはまた、支持率が下がる、反発を食らう、上げづらいし、

あげたくない。

あげようと提案したら、増税メガネ、などと呼ばれて、批判されたりする覚悟がいる。

だから、いつでも梯子が外せる、特別給付とか、単発の給付みたいに、

計算できる今ある予算内で、適当にお金を与えて、

ほらほら、ちゃんとお金を配って、君たち愚民のことを考えているよアピールを

しているようにも思える。

税金を上げるときには、強行突破でも増税する癖に、税金予算が余ったり、

景気が落ち込んでいたり、生活が苦しくなったら、税金は下げないで、

一度取り上げた税金をさも自分の手柄のように配布する。

取ってから配ることで、余計な事務作業や人件費、紙代、振り込み代など

何億円も無駄にする。

だったら、初めからとるなよ、って感じ。

ガソリン税、暫定税率やめてしまえ。

公共料金引き下げじゃなくって、公共料金には消費税かけなきゃいい。

給食費を、学校教育を無償にすればいい。

食品、外食サービスの消費税をやめてしまえばいい。

できるなら、衣・食・住からは税金を取らない。

この3つさえ安定すれば、生活の質は、保たれる。

これだけで、給付なんかしなくても、生活は楽になる。

安定する。

後は、のんびり暮らそうが、バリバリ働こうが、

セレブに過ごそうが、格差ではなく、個性という範疇にはいるんじゃないかな?

税金は、とにかく無駄遣いをゼロにすること。

足りないなら、ぜいたく品の消費税率を15でも20%でもあげちゃえばいい。

だって、ぜいたく品だもんね。

旅行とかも、贅沢といえば贅沢。

インバウンドもいっぱい。

なら、外国客には旅行税として、少し多めに税金をかけてもいいんじゃない?

消費税とか、TAXフリーな部分もあるわけだし。

役所や政治、政治家にはびこる、既得権益を手放そうとしない、

この姿勢が見え隠れするのが、配り屋政党、政治家なんじゃないかな?

税金を下げた後の国の運営をする立場にないから、聞こえのいい大胆な減税を

声高々と叫んでいるだけの政治家、政党も、人気取りのために騒いでいるだけ、

ということもありそうなので、だれを信じるかは、あなた次第。

だが、マニュフェストとして提示しているものが、本当に、国民のためのものか?

最善の策なのか?無駄なことが多くないか?

癒着や汚職がないか?既得権益を保持しようとしていないか?

その後の国のことを考えて提案しているのか?

ただ、人気取りで聞こえのいいことを言っているだけなのか?

他者を批判しているだけで、自分では何もしていないのでは?

など、少し斜に構えて考えてみることも大事なんじゃないかな?

格差の是正とは、所得や財産を同じにすることではなく、必要十分なラインの

生活の安定を担保すること。

そこから先は、のんびりしようが、バリバリしようが、散財しようが、蓄財しようが、

個々人の自由、個性の範疇。

散財する人がお金が足りないというのを給付するのも、蓄財した人がお金いっぱい持っているから

取り上げて分配しよう、というのも違う。

いっぱい働く人、能力が高い人、特殊な技術を持っている人が、評価されて、富を築くのは、

格差ではない。それがなくなったら、有能な人はこの国を出て行ってしまうし、一生懸命働かなく

なってしまうかもしれない。

楽してても、一定の生活ができるようになったら、それに甘えて努力をしなくなる人も出てきてしまう。

そんなことでは国が沈む。

最低限度の生活の保障があり、さらに努力次第で富が得られる、それが求められる

資本主義社会なんじゃないかな?