学校の勉強、受験勉強は、社会に出てから意味がある

2023年02月27日 スタッフブログ

学校の勉強、受験勉強なんて、社会に出ても意味がない。

使い道がない。

だから勉強はしたくない、という話は、よく聞く。

要は、勉強をしなくておいい理由さがしだ。

実際は、社会に出て役立つ知識は多いし、いろいろなことが

別の角度から理解できたり、楽しめたりする。

もちろん知らないからと言って、死ぬこともないし、困らない

ことも多いだろう。

でも、知っていた方が、人生をより楽しめることになるかもしれない。

子供達から、よく、パパはなんでも知っているね、と言われる。

が、そのほとんどは、小学校から国家試験までの受験勉強の中で得た知識と

それをベースに生きてくる中で得られた雑学、また、知識を得て、それが

生かされていることを実感した中で得られた快感からくる知識欲による

学習などから得られたもの。

実際に、医学を勉強すると、体のこと、病気のことがわかるようになり、

生活の中で、がんや認知症などの病気のことが、メディアやエンターテインメント

の中で取り上げられた時も、知識のない人とはまた別の視点から見ることができる。

もちろん、何も知らない状態で、病気って怖いね、って視点ではなくなってしまう

のかもしれないのだけれども。

週末に、子供達と、ガリレオのドラマを見ていた。ドラマの特性上、物理学的、

科学的な見地からの話が多くなる。

その中でも、金属の燃焼による色の違いや火薬と金属の配置をコンピュータで

研鑽して飛ばす花火や発火装置、弾道、摩擦、抵抗、気泡、流体力学、その他、化学や

物理など、中学、高校レベルで学ぶ知識も、実際の生活の中に、気が付かない

だけで、いっぱい転がっており、それに気がつくと、

へぇ、こんなところにも化学や物理、数学が利用されているんだと改めて

実感出来たようで、子供達も、勉強して得られる知識に対して、少し興味を

持ったようです。

もちろん、歴史を知ることは、今の世界の情勢を知ることであり、歴史を知ることは、

今を生きる中で役に立つのは違いない。

音楽や美術、体育、技術などは?と言われれば、絵を描く、楽器を奏でる、音符を読む、

体を動かす、ものを作る、などなど、それぞれ、生きていく中で、多かれ少なかれ

触れるであろう文化の一端を全く経験しないで、考えもしないで、社会に出るよりは、

さわりだけでも一通り経験し、実際に社会で、それを生業としている人に敬意を表し、

その産物を利用させていただくことにつながるという観点からも、有用であると考えられる。

学校や受験の勉強は決して悪ではない。要はそれを、どのようにするのか、させるのか、

利用するのか、考えるのか、活かしていくのか、など、やり手の問題。

学校や受験勉強を害悪、無意味なものと否定する意見には、何やら、個人的な学校や受験勉強に

対する否定的な感情が含まれているのではないかとも考える。

そんな下らい内見に左右されて、学校や受験の勉強を毛嫌いして、拒否するなんて、もったいない。

無駄かどうかは、人の意見に左右されないで、自分で経験して考えて決めればいい。

あとで、やっとけばよかったと思っても、その時は、無駄だよなんて言っていた人は、ひとかけらも

責任を取ってもくれないし感じもしないだろう。

自分の人生は自分のものなのだから、自分でしっかり考えて、決めて行動しなければならない。

たとえ子供であっても。

子供達を飛び級や早めにプロにしたり、稼げるようにしたりする風潮が一部になくもないが、

社会に出てからの方がズーーーと長い。

学生生活を謳歌するのは、決して悪くない。

急いで、最年少なんだか、を目指す必要はない。

働き方改革、その一方で、子供の労働を、天才なんだか、のように煽って進めることには、

個人的には違和感を覚える。

大人と同じレベルかちょっと低いレベルでも、子供だから、天才なんだかともてはやされる。

大人になることには、本当のトップに立つこともあれば、ほかの大人に埋没することもある。

3歳の頃から、4歳の頃から、訓練を積み重ねて、トップアスリートになる、それもいいのかも

しれないが、個人的には、普通に暮らしながら、その中で、自然にずば抜けた人がトップ

アスリートなどになった方が、好みだな。

好みの問題ですけど。