学歴を批判する人は、考えが足りないかも

2022年11月06日 こころ院長ブログ

学歴至上主義、は特にいいとは思わない。

学歴がある=仕事ができる、優れている、とは言い切れない。

しかし、その逆に、学歴がいらない、学歴なんて意味が無い、むしろ害悪、なんていう人は、どうかな?

会社を経営する側からすると、学歴は、一つの、個性のポイントの一つ。

学校で習う知識や経験が、世の中で役に立たない、意味が無い、子供たちや若い子が、作れに向かって勉強するのは時間がもったいない、もっと遊んだり、スポーツしたり、いろんな経験をしたほうがいいと、さも、真実を知っているかのように語られることがある。

それって本当?

学校で教える知識や経験は、かつての人類が、必死に積み重ねてきた知識と経験の集まりである。

これを勉強することで得られる経験は、また、遊んだり、スポーツをしたり、海外へ行ったり、だけで生えられないものである。大事な経験の一つ。

そして、勉強してもいいと、与えられている時間がある。ならば、そこで、勉強に集中しないで、時間を浪費することの方が、逆に人生の無駄遣い。

今後の人生で、何の知識と経験が、その人の人生を変えるかはわからない。

受験勉強が本当に無意味なもの?と判断するすべを私は持っていない。

私が今あるのは、学校での経験、知識、受験の知識、経験、国家試験の知識・経験、などでも構成されている。どれも、無駄であったとは思わない。

学歴が必要なわけではなく、その学歴を得るために、どう努力したのか、どのような知識と経験を得たのか、が大事なわけで。その中身は、本人にしかわからないので、仮に学歴というものが見た目で分かり易いので、其れも参考にする、ということ。

安易に、無責任な人々の学歴はもう必要ない、学歴のある人は無能だ。。。。自由な発想が無くなる。。。。、そんな根拠のない言動に左右されて、勉強を放棄する理由を探して、

勉強からただ逃避する道を歩んではいけない。

人は、努力すべき時に努力しないと、得られるものも得られないことがある。あとで後悔しても、取り返すのはすごく大変、もしくは取り返しがつかないことがある。

学歴、例えば、京大卒、とか、別にあってもいいじゃなし。それでその人のすべてがわかるわけではないが、その人を構成する一つの個性の。

そういう、学歴だけにアンチするひとがいる。

そういう人たちの中には、なんだかで優勝した人、今どこそこの世代で人気No1のなんだか、なんだか事務所に所属している人、なんだか国のアイドル、伝説のなんだかとか、学歴以外の個性を重視したりする。そんなんも全部、学歴と一緒では?その人を構成する個性の一つ。

昭和世代の老害・・・、時代遅れのなんだか~、とか、そういった作られた枠組みでの批判。

学歴を単純に批判、無意味と考える人は、視野が狭すぎる、器が小さすぎるのでは?

多様性の社会を訴える人わりに、そういった既存の価値観に対する多様性を持ち合わせていないことが良くみられる。過去の習慣や文化を否定して、新しい自分たちの意見だけを推し進めようとしたりする。多様性を受け入れるなら、古き価値観も許容すべきと考える。

貧富の差なんてのも、究極的には多様性の一つとも考えられる。

生活、教育、医療、福祉などを平等に、特に後者3つは、無償で受けられるように国で保証してくれれば、あとは、どんだけセレブがいようが、其れも多様性の一つと請けいられれるかもしれない。なんでもかんでも平等に・・・というのは難しい。何を平等と取るかは、個々人の感情や事情によるのだから・・・・。

寛容性・・・、って大事だね。