2022年06月06日 こころ院長ブログ
よくある症例を一つ検討してみましょうか。
立ち上がりが困難な高齢者がいます。さて、薬以外でどうしてあげられるでしょうか。
答えは一つではありません。そして、正解も一つではありません。おそらくは、採点するとしたら、減点、加点方式になるのではないでしょうか。
まず誰でも思いつくのが、立ち上がる訓練をすること。単純に、座ったり立ったりさせる、スクワットをさせるなどをすること。それも正解の一つです。かなり多くの訪問リハビリテーションで、この方法がとられており、場合によってはこれくらいしかしていない場合もあります。ですが、これでは視野が狭すぎる、可能性が少なすぎるのです。そして時間の割に効果が得られない可能性がある。1年も2年もずーーーーと、立ったり座ったりの訓練しかしていないこともあります。
まずは、立ち上がりが困難な理由を検索してみましょう。立ち上がり困難な高齢者の多くは、立ち上がりの時の体の使い方が悪いです。そこで、上半身を前屈させるようにしながら、体重を足の骨に乗せつつ、掴まりながらもしくは解除しながら前傾姿勢を保って立ち上がることを勧めてみます。すると、これをするだけで、けっこう多くの方が、立ちやすい、と答えます。療法士も忘れがちですが、リハビリテーションは、鍛える・トレーニングをする、以外に、身体の使い方を正しく評価し、認識しなおす、矯正するという過程もあります。この場合の能力の改善は、一瞬で進みます。
また、立ち上がりの困難さが、めまいや立ち眩みのこともあります、その場合は、内科的な治療を合わせて行う必要があります。どういった状況で、どういった体の使い方で、どのような症状が出るのか、リハビリテーションの際に確認し、詳細な評価を主治医に提供することで、より効果的な治療を引き出すことができます。腰や膝が悪い・痛いなどの症状で立ち上がりが困難な場合、でコルセットや装具を着用することでかなり楽になることがあります。
単純に転んだなどの過去の体験から、恐怖心ですくんでしまっている、立つことを拒否しているということもあります。そういった場合には、環境設定や本人不安を与えない介助、起立までの動作を分解し、段階を踏んで徐々に不安感を取っていくなどのじっくりをしたプランニングも有効となることがあります。
他に、見落としがちなのは、座面が低すぎる、ということ、もあります。膝が90度よりも曲がっているか、伸びているかで、かなり立ち上がりの負荷が変わります。座布団・クッションで補高する、ひな壇などで底上げする、そんなひと工夫一つで、自立できる場合もあります。
栄養は足りているか、体重は適正か、そういった一見立ち上がるという動作からは考えにくいような、個人の状態についても、しっかり考慮する必要があります。
さらに、そもそも立ち上がろうという意欲はあるのか?本当に本人は立ち上がりたいのか?本人が望んでいない行動・動作を周りが勝手に勧めて、無理やりやらせていないだろうか?よく言う、治る気が無い人には治療は難しい、学ぶ気が無い人には勉強を教えるのは難しいと言いますが、リハビリテーションもよくなろうという気が無い人には、なかなか効果を上げることは難しいです。まして、立ち上がりたくない人を無理やり立たせる動作を訓練することは、虐待・パワハラ・拷問のような一面はないでしょうか?リハビリはあくまでも、やった方がいいものであって、やらなければならないものではないことを再認識すべきです。
立ち上がってくださいという指示は理解できているのか?聞こえているのか?ちゃんと理解できればできるのかもしれないが、伝わっていないのかもしれない。
などなど、評価すべきところはいっぱいあります。
単なる立ち上がり困難、という症状だけでも、ざっと考えるだけでこんなにあります。
座る、ねる、起きる、歩く、着る、脱ぐ、トイレをする、風呂に入る、食べる、飲む、その他の生活動作、日常生活、外に出る、車椅子に乗る、歩行器を使う・・・・あまたある在宅生活に必要な動作などをいちいち評価して、考えて、実行して、再評価して・・・・、これをやるのです。
ディケアの療法士には、基本的にリハビリテーションの指示医がいません。療法士一人に責任をもってこれをやれっていう、今の制度、ひどくないですか?ディケアにも患者さんにリハビリを提供するなら、ちゃんとしたリハビリ指示が必要なんじゃないでしょうか?
まぁ、ここまで考えて、外来リハビリテーション・訪問リハビリテーションの指示書を書いている、診察している医師が、いかほどいるのだろうか?クリニカルパス通りに、いつも通りにやっといて、療法士さんによきに計らっといて、ってパターンが、意外と多いんじゃないだろうか。また、専門科の領域以外のことについてはあまり考慮せずに指示を出していないだろうか?
リハビリテーションが難しいのではなく、診続けること、考え続けること、想い続けること、少しでも良く、少しでもリスクを減らして、と努力し続けることが大変なだけなのです。