世の中は、とにかくマスク反対にシフトしてきている

2022年05月20日 こころ院長ブログ

世の中は今、特に日本は、強力にマスク=悪という方にシフトしようとしている。

マスク=悪ではない。

マスクをしたっていいじゃないか。

状況に応じて外せばいいじゃないか。

マスクは、防具の選択肢の一つなだけ。

反対論者ばかり最近、新聞やメディアで発言するから、また、これも世論操作の一貫でしょう。

もう聞き飽きた。ウィルスは小さいので、マスクをすり抜けるから、マスクでウィルス感染は防げない、という論調。嘘ですから。マスクの縫い目の穴よりウィルスが小さいから、マスクは意味ない・・・?どういう論調?ウィルスは飛沫で感染しているものがあります。そうでない者もいます。少なくとも、マスクで吸着できる飛沫に乗ったウィルスは防げます。ウィルスが体に入る数と免疫機能との兼ね合いで感染するなら、ウィルスの数、特に飛沫には大量のウィルスがついているので、それをカットすることの意味は、いうまでもなく高いと思う。

いうなれば、バリケードを作って、街を戦火から守ろうとするとき、バリケードは作っても歩兵は通れるから意味ないよ、と言っているのと同じこと。バリケードで、戦車・大砲・輸送車(ウィルス満載の飛沫)などを防ぐことで、敵の攻撃力を減らし、侵入してきた歩兵(ウィルス)をやっつけて、戦火から守ろうとしている作戦、これってどう考えても有効でしょ?

だから、マスクをしたい人、感染が不安な人はマスクをしたらいい、マスクなんていらないって思う人は、どうぞしなければいい。迷っている人たちを、いちいち、巻き込まないでほしい。

子供たちの成長についても、口が見えないと・・・っていうけど、子供たちの能力って、大人が考えるよりすごいかもしれないよ。マスクで見えない表情から、見える部分だけで想像する能力が発達するかもしれない。作り笑いなんて、日常ザラにあるけど、そんな笑顔みて安心してていいのかな?目が笑っていないっていうけど、ということは、目を見れば笑っているか、怒っているのか、悲しいのか、想像できる、判断できるってこと。

おじさんたちができない事を子供たちもできないと思っていいのかな?今どきの若い子、子供たちは、メールやラインの文字を見ても、相手が起こっているかも?喜んでくれている?とか、行間の感情を読めたりするかもしれない。

それこそ、対面⇒オンラインになって、いままでは対面じゃなきゃ伝わらないものがあると言っていたおじさんたちもいたけど、オンラインであることで逆にプレッシャーやストレス、圧力が少なくなり、より間髪に議論や意見交換ができるようになることもあったんじゃないかな?

コロナの再燃、再度毒性強化される、次のウィルス蔓延が来る可能性があるなら、子供たちに、食事の時や近くで会話するとき、狭い閉鎖空間の時は飛沫が飛ぶ、マスクが嫌じゃなければしたほうがいいよ、という風に教えていくことの方が大事なのでは?なにも24時間365日マスクしろなんて言っていない。感染リスクが高いところでは。。。ということ。それを日常的に、習慣的に判断できるように教育してあげれば、あとはするかしないかは本人の選択でいいのでは?

免疫力なんて、マスク云々で落ちないんじゃない?だって、子供たち、遊びに夢中になったら、マスクなんて外しちゃうこともあるし、手洗いする前に食べちゃったり、手をなめたり目をこすったりするし、お菓子の分け合いやおもちゃの共有もするだろうし。

何年か前にあったなんでもかんでも抗菌ブームの頃よりは、大丈夫なんじゃない?血行身の回りの物、ばっちい物いっぱいあると思うけどな。ペットを飼っている家のいっぱいあるし。

一親としては、インフルエンザだって、場合によっては死に至ったり後遺症が残るんだから、かからないに越したことは無い。コロナ対策の影響もあり、インフルエンザは記録的な少なさ。ということは、今の生活を続けていれば、コロナよりも感染力が弱いウィルスや菌に感染しづらいのでは?わざわざ、苦しい想いをするような病気にならなくてもいいのでは?発症しない程度の菌やウィルスの暴露で、自然に免疫つかないもんかな?

今一度、いいますが、専門家やメディアのいう重症化しない=重症ではないという事ではありません。わが子が40度の熱出して、意識もうろう、幻覚見て、飲食できない状態は、親から見たら相当重症です。それが、今のコロナの力です。ワクチンを打っていないひとは、これくらいの世間でいう重症ではない感染をする可能性があるということをよーく考えたうえで、自分の、我が子のマスクの適応をTPOに合わせて検討してください。息苦しい、かぶれる、気持ち悪い、熱中症のリスクなどなどとかんがみて、より利益の高い方に投資するしかないでしょ。

ちなみに、マスク推進派もマスク害悪派も、我が子がどのような結末になっても、一切責任は取ってくれません。知らん顔します。なので、これだと思う情報を自分たちでピックアップして参考にして、自分たちの家族のことは、自分たちで決定して、責任を持つしかないのです。

このブログも含めて、ネット上の情報は、私見物が多い。エビデンスと呼ばれるものも、捏造されていたり、都合がいいものだけを持ってきていたり、論文のデータもよい結果のものだけを選んで報告している場合もあります。情報があふれかえっているということは、それを目利きして選択する能力が求められています。

私が訴えていることも、間違っているかもしれません。でも、わたしは、現段階では、少なくとも私の家族には、こう話して、生活するように指導しています。