鬼滅の刃は人の心の話?

2020年11月05日 こころ院長ブログ

キングダムもそうですが、見ていて、読んでいて、心熱くなる名作は、人の心を良く描いているように思います。鬼滅の刃も、竈門炭治郎を中心に善良な純粋な人の心と葛藤と兄弟・家族愛、人間愛を描いています。それに対し、嘴平伊之助は、飾らないまっすぐな直観的な人の心の表現のよう、理性や常識で装飾される前の人の心のよう、我妻善逸は、人の心の弱さ・不安さ・繊細さを隠すことなく表現しているように感じます。柱のそれぞれが、社会的に適合しにくい特殊なくせのつよい性格をしており、その生い立ちに様々なトラウマや経歴を持ち、人の個性やもって生まれた、生きているうえで不条理な部分も含めた経験を経て、形成されている個性てきな心を表現している。癖の強い性格や人格で通常呼ばれる社会生活にはなじめなくても、個性として、それを生かせば、社会の中で重要な役割を担うことができる、とも読み取れます。さらに、鬼は、人の心の闇の部分の体現、欲望、復讐、ねたみ、恨み、快楽・・・、それを理性なくまっすぐに求める闇の心の表現、そこに鬼それぞれにそうなってしまうまでのエピソードがあり、同情の余地はあるが、許される罪ではなく、死という罰をもって、最期の瞬間に心だけ解放される場合がある。解放されない鬼もいるけど。結局は、全舞台を通して、良い心と悪い心の葛藤を人対鬼の戦いとして表現し、闇の部分もまた人であり、それも含めて人として、正しくあるべく己と戦っていくのだ、というメッセージなのかな?と、勝手に解釈しています。これはあくまで、個人的な解釈と感想ですので、読んで、見て、それぞれが感じた感想がすべて、正解なんだと思います。人も鬼も含めて、それぞれの生きざま、散りざまに、何らかのメッセージを読み取れて、確かに、面白いマンガだな、と感じました。今回の映画では、煉獄杏寿郎のお母さんのメッセージが好きです。