会社や組織、グループをやめるとき

2024年05月02日 こころ院長ブログ

会社や組織、グループをやめるとき、人の器が見えてきます。

やめ方にも、やめるに至るエピソードにもよりますけど。

もしも、やめる方が、なにがしかの夢を持って、もしくは、悩みに悩んだ末の決断で、

もしくは、元の所属している組織に問題があって、など

の場合には、

快く離脱を受け入れ、今後の活躍を素直に応援してあげたい、できることがあれば、

その後のつながりを維持したり、協力し合ったりできたらいいなと思います。

日本では、多くは、やめるときに、すんなりいかない気がします。

例えば、やめる人がいるなら、この際だから、かぶせられる汚名や罪、失敗、その他の

悪いことはみんなおっかぶせちゃって、残った組織のロンダリングをしようとしたり、

罵声を浴びせたり、よく聞くのは、育ててもらった恩を仇で返しやがって、

今までに困っている部署や仕事があることをいいことに、最後の奉公として、

あれやこれをやってからでないとチームを抜けることを許さないとか、

目の見える範囲で活躍することは許さないとか、あれやこれやはするなとか、

二度と戻ってくるなとか、抜けるなら賠償金?違約金?払えとか、

さまざまな嫌がらせ?のような言動を耳にします。

育ててもらった恩を仇で・・・?

成長させてもらったかもしれないが、ここまでの間に、一生懸命働いたり、

活動したりして、恩返し、ともいうべき恩恵は、少しもなかったのだろうか?

そんなことはないと思う。

恩を感じて、一生懸命努力して、少しでも役に立とう、恩を返そうとずっと

働いてきたんじゃないだろうか?

そうでないなら、そういわれても、おかしくはないのだけど。

そもそも、恩を返してほしくて育てたの?仲間にしたの?

さみしいから、いやだから、損害が出るから、出て行ってほしくない、それは、個人の、会社の、組織の

わがまま、のようにも聞こえますね。

なんだろう、ちっさいな。器がちっさいな。

辞めちゃうものは辞めちゃう。そこは変わらない。

万が一引き止められとして、快く、大活躍するとも思えない。

嫌がらせに意味はない。

ただ、やめていく人に対する嫌がらせ、自分の気持ちが少しでもすっきり

晴れるように、くらいの意味しかない。

こんなの無意味じゃない?誰も得しない。

そんなことする価値ない。

快く送り出して、お互いに活躍できるように協力するなり、祈ったり、

した方が建設的なんじゃないかな?

同じ事象でも、心の持ちよう、言動によって、心地よくも不快にもなる。

調子がいいときは、みんな、いい人。器が出大きくみえる。

別れ際、調子が悪い時こそ、その人の本当の器が見えてくる。

大きな器、とまではいかないまでも、おちょこのような小さい器の人間には

なりたくないなぁと、自分に言い聞かせるようにしています。

最低限度のマナーとしては、決心がついているなら、できるだけ早く

伝えて、やめたあと、抜けた後に残った人たちに、迷惑がかからないように

準備する期間を与えてあげることは大事です。

やめた後のことなんて私知らない、という態度では、それは、

自分勝手、責められても仕方ないかもしれませんね。

お互いがお互いのことを思って、それでも自分にベストな選択をする、

それがいいんじゃないかな?

最近は、転職などは権利だから、自己研鑽のためにとポンポン転職する

人もいますが、そのやり方、心の持ちよう、周りへの気遣いなどで、

いい印象を悪い印象与えるのではないかな。

どうせなら、い印象を与えたいなと、私は思いますけど。

因果はいずれ、自分に回ってくるかもしれませんし。